さよなら、私のクィンターナ

個数:

さよなら、私のクィンターナ

  • ウェブストアに2冊在庫がございます。(2024年03月29日 15時49分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ B6判/ページ数 200p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784766419085
  • NDC分類 936
  • Cコード C0097

内容説明

本書は2010年7月26日に書き起こされる。それは、ディディオンの一人娘、クィンターナの7回目の結婚記念日だった。子に恵まれなかったディディオンと夫のジョンは、クィンターナを養子として迎え入れ、深い愛情をもってクィンターナとの絆を深めていくが、やがて、ディディオンはジョンを、そして最愛の娘、クィンターナを病で失うことになる。クィンターナの幼少期、共に過ごしたマリブやブレントウッドでの日々をスナップショット写真のように鮮やかに描き、また自らの幼年期の記憶、結婚生活の記憶が豊かに織り込まれた本書においてディディオンは、子を持つこと、子を失うこと、親であること、病、老い、そして、死、それらすべてに対する彼女自身の恐れについての深い洞察を展開する。

著者等紹介

ディディオン,ジョーン[ディディオン,ジョーン][Didion,Joan]
1934年カリフォルニア州サクラメント市生まれ。現在ニューヨーク市在住。1956年UCバークレー校を卒業後、『ヴォーグ』誌の編集に携わる。処女小説Run,Riverは1963年に出版された。初のノン・フィクションSlouching Towards Bethlehemは1968年に出版された。小説、ニュージャーナリズム、書評、映画脚本、新聞・雑誌への寄稿など、ジャンルを問わず旺盛な執筆活動を半世紀にわたって続けている。The Year of Magical Thinkingを2005年に発売。全米図書賞(ノンフィクション部門)受賞の大ベストセラーとなる

池田年穂[イケダトシホ]
1950年横浜市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院修士課程修了。現在、慶應義塾大学教授。専門は移民論、移民文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ののまる

13
自分より子どもが先に死ぬのは、耐えられないと思う。2018/03/29

きゅー

10
夫の急死の後、ジョーンの娘(養女)クィンターナは院内感染が重症化し、亡くなってしまった。その後に本書は書き起こされた。「養子というのは誰もが、自分の生みの親に棄てられたと信じているので、養い親にも棄てられるのはと危惧するものだそうだ。」いま考えてみれば養女であるクインターナも同じ恐れを抱いていたのではないだろうか。クィンターナが生まれた時、ジョーンが養子を欲しがっていることを知っていた産科医がジョーンに電話をかけた。ジョーンは、喜んでその子を養子にすることにする。2019/02/04

くさてる

3
夫に続き、娘を喪った初老の作家による回想。娘の死を受け入れるということがどれほどの意味を持つことなのか、けして劇的なものでもなく整理された記憶ということもなく、ごく個人的に意味を持つ事柄が浮かんでは消え、連想されては違う意味をまとい、繋がっていく構成が、こちらに湧き起こすもので、胸が苦しくなった。老いることへの率直な感慨も含めて、生のまま受け取ったらこちらが動揺してしまうほどの、感情の名前は、おそらくは「哀しみ」だ。あふれんばかりの、悲しみだ。2012/03/10

ケニオミ

3
1ヵ月ほど前に読了した「悲しみにある者」の姉妹作品です。「悲しみにある者」では夫の突然の死に著者がどのように受け入れていったかについて記していましたが、今回は夫の死後1年9カ月後に亡くなった一人娘(養女)について、そして自分の老いについてです。亡くなった娘には、著者の育て方をどう思っていたのか尋ねることができないため、あれこれ自分なりの解答を得ようと逡巡します。決して解答は得られないのですが、そうせざるを得ない著者には共感を覚えました。やはり、親を置いて先に子供が亡くなるのは罪ですね。考えされされました。2012/02/29

釈聴音

2
娘を喪った喪失感と、自らの老いと病への恐怖を当事者が率直に語る。その端々にうかがえる、過去の自分のしたこと、あるいは「しなかったこと」への自責の思いの強さに衝撃を覚える。思い出は慰めにはならない。2012/02/05

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/4556621
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。