近代日本の公と私、官と民

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  • サイズ A5判/ページ数 412p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784757143333
  • NDC分類 210.6
  • Cコード C3021

出版社内容情報

「比較」の視点でとらえる「近代日本の新たな諸相」

社会的な結びつきを失った個人は「私」的な世界に閉じこもり、「公」的な事柄への関心を失いがちになる。そうした近現代社会において、「公」と「私」の境界はどこに存在し、そのバランスはいかに保持されうるのか? 歴史的あるいは国際比較の視点から、各界の研究者が「公」と「私」、「官」と「民」の問題を論じる。

序 章 公と私の境界、転換点、収束点

第?T部 歴史にあらわれた「ヒダ」として
第1章 書簡の私的記号について
第2章 イエズス会文献における公と私
第3章 アメリカ憲法史から見た公と私、官と民

第?U部 近代日本の人物像を通して
第4章 公共性を支える非政治的倫理
第5章 「極悪非道地主」真島桂次郎の公と私
第6章 小泉信三の天皇像
第7章 公智と友情

第?V部 社会科学の学説から
第8章 江戸の商人道における「正直」
第9章 納税をめぐる公と私
第10章 被用者年金の分立・統合過程にみる
官と民、公と私(戦前)
第11章 高田保馬の勢力説
第12章 上田貞次郎と自由主義の凋落

第?W部 教育と研究において
第13章 教育機関における公と私の分担
第14章 帝国大学の初志
第15章 知識生産の二つの秩序

第?X部 空間論として見る
第16章 屋外空間の公と私
第17章 都市と建築

終 章 問題と展望

【著者紹介】
青山学院大学国際政治経済学部特任教授

内容説明

「公共的なるもの」への人々の姿勢は、国や共同体のかたちを規定する最も重要な基本要素である。デモクラシーと市場経済のもとでは、社会的な紐帯を失いアトム化した個人は「私」的な世界に閉じこもり、「公」的な事柄への関心を失いがちになる。「公」と「私」の境界はどこに存在するのか。そのバランスはいかに保持されるか。

目次

公と私の境界、転換点、収束点―利益と智・徳
第1部 歴史にあらわれた「ヒダ」として(書簡の私的記号について;イエズス会文献における公と私;アメリカ憲法史から見た公と私、官と民)
第2部 近代日本の人物像を通して(公共性を支える非政治的倫理;「極悪非道地主」真島桂次郎の公と私;小泉信三の天皇像―君主をめぐる公と私;公智と友情―福澤と西郷の場合)
第3部 社会科学の学説から(江戸の商人道における「正直」;納税をめぐる公と私;被用者年金の分立・統合過程にみる官と民、公と私(戦前)
高田保馬の勢力説
上田貞次郎と自由主義の凋落)
第4部 教育と研究において(教育機関における公と私の分担;帝国大学の初志―初代総長、渡辺洪基の考えたこと;知識生産の二つの秩序―私益と公益のはざま)
第5部 空間論として見る(屋外空間の公と私―近代日本の公園史から;都市と建築)
問題と展望―公と私、の概念によせて

著者等紹介

猪木武徳[イノキタケノリ] [R¨uttermann,Markus]
1945年生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院経済学博士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部特任教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は労働経済学、経済思想、現代日本経済史

リュッターマン,マルクス[リュッターマン,マルクス]
1965年生まれ。ハンブルク市立大学博士号取得。国際日本文化研究センター准教授。専門は中・近世の日本社会史・文化史・古文書学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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