内容説明
蒙古襲来をしのぎ、武士団の抗争を制して幕府権力を掌中におさめた北条氏は、なぜ滅亡への道を歩んだのか。流通の拡大、新仏教の展開、悪党の跳梁など、発展と荒廃の狭間にあった、変わりゆく東国社会から読み解く。
目次
1 宝治合戦と得宗政治
2 都市鎌倉と「鎌倉の仏教」
3 東国武士団と地域社会
4 蒙古襲来と日蓮
5 霜月騒動と東国武士
6 鎌倉幕府の滅亡
著者等紹介
湯浅治久[ユアサハルヒサ]
1960年、千葉県に生まれる。1985年、明治大学大学院博士前期課程修了。現在、市立市川歴史博物館学芸員、博士(史学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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鯖
21
源氏三代での滅亡、北條氏による他氏排斥、蒙古襲来、鎌倉幕府滅亡と辿る歴史。分かりやすく、図表や写真も多く、面白い。南関東を基盤とする北條氏対北関東を基盤とする比企氏、安達氏、足利氏、新田氏との対立という説明にはなるほどなーと思った。また都市鎌倉についても触れられていて、こういう人々の生活を扱ってくれるのが大好きなのでありがたかった。銅の成分比率が一致することから、鎌倉の大仏は宋銭で作られているという可能性にも触れられている。銅でできてるから、鎌倉の大仏青いんだよね。2015/03/21
coolflat
12
34頁。北条時頼の権力が確立した時代は、彼が他の一族や有力御家人を圧倒し、将軍権力を空洞化し、幕府に君臨したことである。その意味で、時頼の時代が「得宗政治」の出発点であることには異論はないだろう。そもそも得宗とは北条氏の家督者を意味する言葉であり、義時の追号「得宗」に由来するといわれる。その「得宗」がクローズアップされるのは、1256年に時頼が出家して執権の職を辞しても、その後の幕政を掌握し続けた事実からである。つまり、執権職の有無にかかわらず、得宗が権力を保持する体制が、時頼の時代に確立したのである。2023/10/15
フランソワーズ
3
宝治合戦・得宗政権から蒙古襲来を挟んで幕府滅亡に至るまでを概説。その際、権力闘争や幕府・朝廷周辺だけでなく、当時の社会の様相を追いながら、広範囲に考察している。特に日蓮から時代を照射した論述が興味深かった。2021/05/03
陽香
3
201211102017/05/30
宣和堂
3
蒙古合戦と~となっている割に、宝治合戦からガッツリと鎌倉幕府史を追っている本。三浦氏、千葉氏、宇都宮氏といった有力御家人を通じて地方の開発にも触れているのは好感が持てる。何より驚いたのは、楠木正成が得宗被官の出自ではないかという説。あと、蒙古襲来と呼応して蝦夷と言うかアイヌの反乱があったという説はよく聞くものの、蝦夷管領代官安藤氏の話に紙数を割く概説書は初めてな気がする。鎌倉幕府滅亡まで続くんねぇ。2012/12/31