内容説明
鎌倉時代中期の政治家。父時氏・兄経時があいついで早世したため、20歳で執権に就任。宝治合戦で三浦氏を滅ぼし、得宗家を中心とする幕府体制を完成させる。蘭渓道隆を開山に招き建長寺を創建し、執権を辞任・出家後も、幕府の最高権力者であり続けた。政治家と仏教者のイメージが交錯するところに生まれた伝説の背景にも触れ、その生涯を描く。
目次
第1 誕生、少年時代
第2 政治の表舞台へ
第3 政争の荒波
第4 時頼政権の諸政策
第5 出家とその後の政権
第6 仏教諸派との関係
第7 晩年と残像
著者等紹介
高橋慎一朗[タカハシシンイチロウ]
1964年生まれ。1992年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。現在、東京大学史料編纂所准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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MUNEKAZ
7
北条時頼の評伝。真面目で周囲への気配りも欠かさない性格を、何度も強調しているのが印象的。時頼本来の性質もあろうが、執権就任直後に「宝治合戦」という十字架を背負ってしまったことからくる自戒の念もあるのだろう。節操なしにも見える道元や日蓮、蘭渓道隆といった仏教者との交流も、為政者としての体面以上に、そのストレスフルな立場からくる逃避だったのかなと。また兄の急死からの相続を経ているだけあって、正嫡・時宗への相続に力を入れているのも興味深かった。2019/04/27
アメヲトコ
3
北条時頼の評伝。木像のイメージに騙されてましたが、活躍していたときってかなり若いんですね。宝治合戦のことで後ろめたさを感じていたり、兀庵に会ったときにお調子者な発言をしたりといった、お坊ちゃんらしい人の良さをうかがわせるエピソードにイメージがちょっと変わりました。2013/12/18
フランソワーズ
2
宮騒動、宝治合戦という危機を乗り越え、執権政治の完成と得宗専制への道を開いた名執権の評伝。兄経時の死を受けての経緯から、全てにおいて慎重で堅実な時頼は倹約志向で、バランス感覚に優れたハト派と言える。撫民、御家人保護等に心を砕いた彼の心奥には常に不安があり、仏教に救いを求めたようで、禅宗の蘭渓に帰依し建長寺を開山し、道元と交流した。また宗派分け隔てなく、律宗の叡尊に受戒を求めたり、日蓮に理解を示したりした。阿弥陀思想から鎌倉大仏建立を推進もした。2021/06/04
林田尚子
2
時頼には大河ドラマでの恐そうなイメージを抱いていたけど、内面では激務によるストレスゆえに心の平穏を求めていて、その救いとして仏教との関係があり、様々な宗派に熱心に傾倒している様が伺えたこと等々、とても印象が変わった2020/04/18
在日宇宙人
1
教科書では超安定政権で執権北条家の一つの頂点ともいえる記述がなされているが、意外にも有力豪族にたすけられ時に揺さぶられる不安定な存在だったことが浮き彫りにされていた。2015/12/20