出版社内容情報
日本人は中世以降、殺生禁断の思想が広まり、一般的には肉食は禁じられてきたと考えられている。しかし、仏教伝来までは、どうだったのであろうか。それ以後も、鷹狩りや肉を口にしたとの記述が見られるが、庶民も同じように口にしなかったのか。これまでの、「穢れ」からくる肉食の実態に迫る。
中澤 克昭[ナカザワ カツアキ]
著・文・その他
内容説明
殺生・差別をめぐる葛藤―人間は、動物を殺して食べることに、いつから「うしろめたさ」を抱いてきたのか、それともそれは後世の“文化”なのか。難問のひとつがここにある。
目次
第1章 禁欲から禁忌へ
第2章 肉食の実態
第3章 家畜は不浄か
第4章 殺生・肉食の正当化
第5章 諏訪信仰と殺生・肉食
第6章 武士の覇権と殺生・肉食
著者等紹介
中澤克昭[ナカザワカツアキ]
1966年、長野県長野市川中島町に生まれる。1995年、青山学院大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程退学。日本学術振興会の特別研究員として東京大学大学院人文社会系研究科で研究に従事し、青山学院大学・聖学院大学などで非常勤講師をつとめる。1999年、論文「中世の武力と城郭」により博士(歴史学・青山学院大学)。2000年、長野工業高等専門学校専任講師。同准教授などを経て、2014年、上智大学文学部准教授。2017年から同教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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おさむ
31
最近の昼食のお気に入りは、いきなりステーキ笑。それはさておき、「古代に肉食が禁じられて以来、日本人は肉食を忌避してきた。多くは肉を食べず、米・野菜・魚からなる和食を食べていた」。上智大教授の著者は、こんな言説をステレオタイプの単純な見方と批判する。文献や絵画などを基に、実は肉食は庶民や武士など身分や階層によっては許されていて治療の薬といった名目で食べられていたのだ、とする。テーマは興味深いが、学術書的で読みづらいのが難点。新書にして表現もやわらかくすれば、もっと読まれるような気がする。2018/11/04
baboocon
19
図書館本。日本で肉食が忌避されるようになったのはいつからなのか、またその忌避の程度はという疑問から手に取った。古代から中世まで、主に宗教や身分階級の観点からどのように肉食忌避が進んでいったのかを史料を元に考察している。もともと狩猟を行っていた武士たちも、武士が政権を握る時代になると肉を食べることが忌まれるようになるのが興味深い。古代では天皇も鳥や魚だけでなく獣肉(主に鹿)も狩っていたのも面白い。2022/06/02
templecity
9
明治まで日本人は肉食ではなかったというのはステレオタイプの考え方で様々な事情がある。稲作は天皇の神事の一部でもあり、これに携わるからには肉食は穢れであるという考えもあった。飼育している動物を殺害して食するのは最低とみなされていたが、鷹狩りや猪、鹿といった野生動物の狩りは行われていた。肉を薬という位置づけで食べることもあった。死んだ家畜を食べることもタブーとされていたこともあったが、肉食に関しては都と地方では温度差があった。 2018/10/15
アメヲトコ
7
2018年刊。主として古代・中世日本の肉食をめぐる思想を追った一冊。日本における肉食への忌避はいかにして成立したのか。「薬食い」は果たして肉食を欲する人々による方便と言えるのか。人間が本質的にもつ殺生の愉悦と、それとうらはらの負債感という、重い問いを投げかけます。そうなると気になってくるのは人間を殺すということの位置で、例えば鹿苑院と号して狩猟を忌避した足利義満が、一方ではなぜ戦は積極的に行っていたのか、このあたりの心性も不思議です。2020/10/13
田中峰和
4
膨大な飼料が必要な畜産。その飼料から多数の貧者を養える。肉食は金持ちと貧者の格差の象徴。肉食は今も昔も権力者の食習慣なのだ。殺生が戒律の仏教を普及させた天皇も当初は、狩猟が趣味で肉食を常としていた。やがて天皇は猟と肉食をやめ、貴族もそれにならったが、武士に浸透するには時間を要した。元来、武士は狩猟を生業とする猟師のようなもの。それを禁じたのは鹿の王を崇拝する三代将軍足利義満。殺生を犯す罪深い武士がそれを克服し、正しい政治を行うには、殺生禁断が必要だったのだ。江戸時代まで武家社会が存続できた前提ともいえる。2018/11/16