出版社内容情報
大友義鎮(1530年から1587年)戦国大名。法名「宗麟」。
北部九州の守護公権力として領土と領海の統治に邁進し、ヨーロッパから訪れた未知なる宗教の宣教師や、外交交渉のために来日したアジアの国家使節に果敢に向き合った義鎮。国を超えて活躍したその生涯に迫り、事績と人間性に新たな光を当てる。
内容説明
大友義鎮(一五三〇~一五八七)戦国大名。法名「宗麟」。北部九州の守護公権力として領土と領海の統治に邁進し、ヨーロッパから訪れた未知なる宗教の宣教師や、外交交渉のために来日したアジアの国家使節に果敢に向き合った義鎮。国を超えて活躍したその生涯に迫り、事績と人間性に新たな光を当てる。
目次
序章 大友氏の史的背景と研究史
第1章 大友氏の歴代当主
第2章 領国の拠点
第3章 領国の統治
第4章 経済政策
第5章 硫黄・鉄砲と「唐人」
第6章 建築と絵画への造詣
第7章 アジア外交と貿易政策
第8章 西欧文化の受容と評価
第9章 東南アジア外交の開始と競合
終章 義鎮の政治姿勢と経営感覚
著者等紹介
鹿毛敏夫[カゲトシオ]
1963年生まれ。1986年広島大学文学部史学科卒業。2005年九州大学大学院人文科学府博士後期課程修了。博士(文学)。現在、名古屋学院大学国際文化学部教授。専攻は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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MUNEKAZ
12
大友宗麟の生涯を追うのかと思いきや、そんなことはすでにご存じでしょうとばかりに、大友氏の最新研究を論集のごとく並べる。最新の考古学的知見なども交えて述べられる宗麟の統治・外交・文化の姿は、「酒色の溺れたキリシタン大名」という一昔前の評価を覆す、いたって真面目な統治者そのもの。とくに宗麟の特徴とされるアジア全域を見据えた外交・貿易を、大友氏歴代の政策から語ることで、西国大名全体の傾向として捉えられるのは面白い。ただ肝心の「戦争」の部分にほとんど触れないのは、戦国大名を扱った本としてどうなんでしょうか。2021/02/20
Toska
9
他の方も書かれている通り、個人の評伝というより「大友政権論」に近い異色の内容で、好みが分かれるかもしれない。人口に膾炙したキリシタン大名イメージを差し置いて、明やカンボジアとの交易など環シナ海での交流を重点的に取り上げている点もユニーク。当時の日本人にとって「世界」といえば何よりもまず東アジア世界だったわけだから、著者のチャレンジは評価したい。信長にやたら洋装をさせて喜んでいる現代人にとってはいい解毒剤と思う。豊富な考古資料を駆使した都市政策の分析なども読み応えがある。2023/02/01
うしうし
6
大友宗麟ではなく、57年の生涯で最も長い22年の名乗りであった「大友義鎮」(p35~36)を書名とする。ちなみに「宗麟」の名乗りは約14年間。副題の「国君、以道愛人、施仁発政」の原典は、禅僧仁如集堯の『ル氷集』で、友である薬師(医者)吉田牧庵が元亀2年(1571)豊後を訪問した理由を記したもの。「国君」が大友義鎮を示す(p184)。 本書は 義鎮の生涯を編年的に記した単なる伝記ではなく、著者の関心と研究テーマに沿って、一次史料に基づき、考古学的な調査成果をも取り込んだ新たな視点を示すことに成功している。2021/03/08
フランソワーズ
5
タイトルが「宗麟」ではなく、「義鎮」としたところに著者の姿勢が窺えます。つまり巷間に伝わる”大友宗麟”ではなく、実像に迫ろうとするもの。よって、キリシタン関連の記述は驚くほど少なく、”アジアン大名”大友義鎮に事績(海を越えた外交)とその考察、それを支える領国・拠点の整備や経済政策などが論述されています。検地などの内政、軍事、家中統制等も潔いほど省かれているので、評伝としてはどうなのかという疑問を抱きますが、中央志向の薄い九州大名の特異性の一典型として、このような光のあて方もありかな、と。2021/08/30
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