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出版社内容情報
二人の偉大な芸術家は中等学校で知り合ってから、互いに成長し、遠く離れても、長い間、強い友情で結ばれてきた。彼ら自身の言葉と行動の足跡を丹念に辿ることで、芸術の創造の軌跡、「自然」や「感覚」、「モティーフ」、そして、「絵画における真実」と「文学における真実」の交錯が見えてくる。二人の交流について定説を覆す新発見の書簡も含め、現存するセザンヌとゾラの往復書簡をすべて収録する初の完全版。カラー口絵付き。
内容説明
彼ら自身の言葉と行動の足跡を丹念に辿ることで、芸術の創造の軌跡から、「自然」や「感覚」、「モティーフ」、そして「絵画における真実」と「文学における真実」の交錯が見えてくる。二人の交流について定説を覆す新発見の書簡も含め、現存するセザンヌとゾラの往復書簡をすべて収録する初の完全版。カラー口絵付き。
目次
序 たぐいまれな相互理解
第1章 一八五八‐一八六〇年
第2章 一八六一‐一八六四年
第3章 一八八五‐一八七〇年
第4章 一八七一‐一八七七年
第5章 一八七八‐一八八七年
著者等紹介
セザンヌ,ポール[セザンヌ,ポール] [C´ezanne,Paul]
1839年、南フランスのエクサン=プロヴァンスに生まれる。フランスの画家。父親の後を継ぐべくエクス大学法学部に入学するが、一足早くパリに住んでいたゾラに強く誘われ、1861年、画家になるために上京する。当初はモネやルノワールら印象派グループの一員として活動したこともあったが、後にグループを離れ、独自の絵画様式を探求した。長年、パリと南仏を行き来するが、晩年はほぼエクスで隠遁生活を送る。キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」と呼ばれる。1906年、野外制作中に大雨に打たれて体調を悪化させ、自宅で死去
ゾラ,エミール[ゾラ,エミール] [Zola,´Emile]
1840年、パリに生まれる。フランスの小説家、劇作家、批評家。自然主義運動の中心的人物。父親はヴェネツィア出身のイタリア人技師。父親が指揮をとる運河工事のために、3歳のとき一家でエクサン=プロヴァンスに移住する。7歳のとき父親が死亡し、母子は貧窮生活に陥る。1858年18歳でパリに移り、バカロレア試験に2度失敗、しばらく貧しいボヘミアン生活を送る。1862年アシェット書店に就職、ジャーナリズムを足がかりに美術批評家として頭角を現し、1866年にマネをはじめて擁護する。『テレーズ・ラカン』(1867)で最初の文学的成功。『居酒屋』(1877)の大成功によりセーヌ河畔のメダンに別荘を購入。セザンヌも何度かこの別荘を訪れ、メダンで制作した。ドレフュス事件では、右翼軍部の陰謀によりスパイ容疑をかけられたユダヤ人の参謀本部付き砲兵大尉アルフレッド・ドレフュスを擁護して、<オロール>紙に公開状「私は弾劾する!…」(1898)を執筆。1902年、一酸化炭素中毒により死去
ミトラン,アンリ[ミトラン,アンリ] [Mitterand,Henri]
1928年フランスに生まれる。ゾラ研究を牽引する世界的研究者。フランスにおけるソシオクリティックの創設者の一人。パリ第3大学およびコロンビア大学(ニューヨーク)名誉教授
吉田典子[ヨシダノリコ]
京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。D.E.A.(パリ第4大学)。文学博士(京都大学)。神戸大学大学院国際文化学研究科教授を経て、神戸大学名誉教授。専門は19世紀フランスの文学と美術、および社会文化史
高橋愛[タカハシアイ]
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。D.E.A.(ストラスブール第2大学)。文学博士(大阪大学)。現在、法政大学社会学部准教授。専門は19世紀フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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ラウリスタ~