出版社内容情報
第二の釈迦と讃えられながら自力での成仏を断念した龍樹は、誰もが仏になれる道の探求に打ち込んでいく。法然・親鸞を導いた究極の書。
内容説明
『中観論』で名高い龍樹が自らの求道過程を綴った『十住毘婆沙論』。第二の釈迦と讃えられながら、自の力で悟りの境地に達することは、人間には不可能だと判断した龍樹は、阿弥陀の名を呼べば救われるという、誰もが実践可能な道=「易行道(いぎょうどう)」を発見する。『中観論』が学問的に仏教と向き合う書であるのに対し、『十住毘婆沙論』は、自らが見つけた易行道に、多くの迷える衆生を導きたいという、慈悲の心に彩られている。多くの浄土思想家たちに影響を与え、法然・親鸞がその教学の根拠とした究極の救いの書を、わかりやすい現代語訳と注釈で読む。
目次
序品
入初地品
地相品
浄地品
釈願品
発菩提心品
調伏心品
阿惟越致相品
易行品
除業品〔ほか〕
著者等紹介
細川巌[ホソカワイワオ]
1919‐1996年。福岡市生まれ。広島文理科大学化学科卒業。福岡教育大学名誉教授。大学退職後は「ひかり養育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roughfractus02
2
『中論』を論理学として読むと西洋的に惹きつける。十住毘婆沙論を読むのはそう思う時だ。一方、その散文部分が今も龍樹作か疑問視されるのも確かである。それでも宗教書として読むなら、さらにそれが「凡夫」に語る実践書であるのなら、十住毘婆沙論を読む価値は「凡夫」を通すことにあるといえる。人間における悟りの不可能性をその論理によって見出した者が、阿弥陀の名を呼ぶという行為にシフトする時、論理外の実践空間が開かれるからだ。著者は十住毘婆沙論を精読した親鸞を通して、書かれたものを意味から行為へシフトする局面を読者に示す。2017/02/17
ところてん
1
龍樹の『十住毘婆沙論』の解説書です。龍樹の哲学の側面である『中論』ではなく、実践の側面についての『十住毘婆沙論』を紐解き、我々が不退転に至るための方法論が明らかになります。2016/07/31
舟江
1
大乗仏教中間派の基礎を作った人、逆に言うと仏教を机上の空論へ向かわせた極重悪人である。そしてこの本は、文芸文庫であるが歯が立たなかった。私の頭の悪さは悪いが、本の企画はもっと悪いと思った。学問は哲学であって宗教ではない。2016/03/02