ヴィジュアル・クリティシズム―表象と映画=機械の臨界点

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  • サイズ A5判/ページ数 345p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784472403774
  • NDC分類 778.04
  • Cコード C0070

内容説明

20世紀の視覚的な表現がはらむ未知の可能性と、表象が抱え込んだ限界とを、映画、アニメーション、絵画から多層的に解き明かす。

目次

1 図像とアニメーションへの回路(ジャポニズムの現在;アニメーション/運動/物語―宮崎駿に注目して)
2 実写映画への回路(カルメンはどこに行く―戦後日本映画における「肉体」の言説と表象;キートン、機械、中国の「工業題材映画」;「非―決定」の闇―黒沢清『回路』について)
3 理論的実践への回路(存在と表象―メルロ=ポンティによる芸術論の周縁;滅多にない花のように―「アウシュヴィッツ以後」におけるクラカウアー『映画の理論』の救済;世界の断面―ゴダール・消失・回帰;間のイマージュ―バルト・小津・ドゥルーズ)

著者等紹介

中山昭彦[ナカヤマアキヒコ]
1959年生まれ。立教大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士後期課程退学。学習院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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あなた

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中山昭彦も吉田司雄も紅野謙介も日本文学研究者でありながらカルスタ好きのひとはみんなシネフィル(映画狂)でもある。中山は理論タームで論文の文体を固めるハスミばりな研究者だが、まさか映画分析の研究書まで編集するとは思わなかった。個人的には、キートンそのものが「映画機械」だという指摘がおもしろかった。チャップリンは映画機械の強度をもちあわせず、「機械」を撮ったにすぎないもんな。でも、これドゥルーズの指摘なんだよな。シネマ、読みたいね2009/08/13

Satoshi TSUNODA

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滅多にない花のように 長谷正人のリュミエール『赤ん坊の食事』についての講義が、ドゥルーズの感覚的運動図式ではなく光学的-音声的イメージの話を参照しているのかとか思ったり 2022/04/13

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