感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
NAO
53
浅川兄弟は、朝鮮の人々の普段使いの道具の美しさに目を留め、収集し、その美しさを広く伝え、保存すべきだと考えた。二人は、朝鮮人に対しても、差別することがなかった。二人がクリスチャンだったこともあるだろうが、祖父の誰とも分け隔てなく付き合う姿勢を幼い頃からずっと見ていたことも、彼らの人格形成に強い影響を与えたのだろう。巧は兄の友人柳宗悦と意気投合し朝鮮に朝鮮の民芸品を集めた朝鮮民藝館を設立、また朝鮮の植生を調べ植林を進めた。日本が朝鮮を併合し、朝鮮人を差別していた時代に巧のような人物がいたことに胸が熱くなる。2022/11/01
まる子
25
山梨県出身で実在した浅川巧。幼少期から樹木に興味を持ち、兄と母と、当時日本の植民地だった朝鮮半島で暮らし、そこで緑化に力を注いだ。同時に朝鮮の膳(木製の食器)と陶器にも魅せられ美術館や著書などを残した人。さらにクリスチャンであったことから、「こんな時、イエス・キリストならどうしただろうか」と思い、祈り、日本人と朝鮮人の分け隔てない振る舞いが、今も現地の人々に彼の生き方が慈しまれている。日本と朝鮮のかけはしになり、大切な朝鮮の文化を残した人。(児童書伝記)人種による差別がなくなる世界を願って。2024/01/31
Ayakankoku
9
国籍を超えて真の交流をするってこういうことなのだなと実感出来た。2021/10/31
菱沼
1
浅川巧という人を知らなかった。中川なをみさんの知識と探究心に感謝。今のウクライナの歴史を見ても、統合と支配は言語を奪うことから始まるのかもしれないと思った。朝鮮の言葉を積極的に覚えて不自由なく交流できたことには、巧の公平性と器の広さを感じる。日本人だというだけで、朝鮮で横柄な態度をとる人も多い時代だったに違いないから。2022/08/07
ムーミンママ
1
朝鮮の木工、白磁の美しさに目を向けた浅川巧。暮らしの中にあって、使っていくことで美しくなっていく机や器に気付き、それを大切にしていた。クリスチャンとしての考えが根底にあること、柳宗悦との出会いが大きかったことがわかる。日韓併合の時代に、朝鮮の人々に親しまれ、美術館を作った功績は大きい。2021/05/07