出版社内容情報
鍵盤に触れる指、身体全体に共鳴する響き。官能的なほどの快感こそが演奏者と聴き手を共に音楽の愉楽へ誘う。演奏する身体を介して実践と研究を繋ぐ新しい音楽学を目指す。
内容説明
鍵盤に触れる指、身体全体に共鳴する響き。官能的なほどの快感こそが弾き手と聴き手をともに音楽の愉楽へ誘う。演奏する身体を介して実践と研究を繋ぐ新しい音楽学を目指して。
目次
第1部 ピアノを弾く手(作品解釈としての運指―「音楽作品」と「演奏する身体」の絡み合い;手の形・響きの形―ジャンケレヴィッチのアルベニス論をめぐって;鍵盤を「打つ」指―ハイフィンガー奏法と近代日本の精神風土)
第2部 弾く身体と音楽作品(音の「身振り」を記述する―ハイドンのピアノ・ソナタを楽曲分析;消えゆく音に指で触れる―シューマンとフォルテピアノ;手のドラマ―ショパン作品を弾いて体験する)
第3部 ヴィルトゥオーソのパフォーマンス(奇術師としてのヴィルトゥオーソ;超絶技巧の二つの顔;戦略としての「聴かせる」テンポ―ピアノ協奏曲における緩急の変化 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
1959のコールマン
12
☆5。遙か昔を思い出してしまった。小さい頃ピアノを習わされていて、ハイフィンガー奏法に苦しんでいた。そのときこの本があったならな・・・いや何でも無い。だか、欧米においては20世紀初頭にすでに廃れてしまったその奏法が日本でしっかり根をはってしまった「事情」を読んだとき、複雑な気分になった。まあそれ以外の部分では、アルベニスの「イベリア」が出てきたり、手の分析だけではなく身振りの分析が出てきたり、ヴィルトゥオーソのパフォーマンスを奇術師になぞらえたり、色々面白い部分が出てくるので十分楽しめた。2019/06/01
Takuto Mishina
0
本書はピアノの研究と演奏(実践)を「身体」を通して架橋するものであり、そのモットーは「自分自身の指で考えよう」である。演奏はまず手を通して、身体を通して、行われる。それらこそ音楽との接触点である。その手や身体つまり「動き」を通してこれまでのピアノ演奏の知識や常識が再考されている。以前、左手一本で弾くよう書いてあるのに右手が空いているからと言って使うなと教えられたが、その理由が分かった。本書の言葉を借りるなら、音楽には「種も仕掛けもある」。そして種や仕掛けよりも「演出」が重要なのである。2015/02/26