内容説明
中央集権国家の樹立が急務とされた明治期、なぜ「西洋の音」が必要だったのか。統治技術としての音楽教育のありようを綿密に解析した洋楽受容史の新しい視座。
目次
第1章 鼓手としての伊澤修二―明治維新とドラムのリズム(幕末の軍制改革―ハードとソフトの革新;ドラムが導入されるまで ほか)
第2章 岩倉使節団が聴いた西洋音楽―ナショナリズムを誘発する合唱(岩倉使節団のサウンドスケープ;報告書『特命全権大使米欧回覧実記』 ほか)
第3章 洋学と洋楽―唱歌による社会形成(伊澤修二の洋学事始;大学南校 ほか)
第4章 国語と音楽―文明の「声」の獲得(アメリカ留学;ブリッジウォーター師範学校 ほか)
第5章 徳育思想と唱歌―伊澤修二の近代化構想(帰国;徳育に対する態度 ほか)
著者等紹介
奥中康人[オクナカヤスト]
1968年奈良県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程を単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員を経て、現在は京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター特別研究員。大阪大学・大阪芸術大学・名古屋芸術大学、非常勤講師。博士(文学)。専門は近現代日本の音楽史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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tnk
3
西洋音楽は近代的な身体と精神を形成する手段として近代日本に導入されたことを裏付けていく。岩倉使節団がアメリカでコンサートを訪れ、費用や動員数、音楽によって会場が愛国心に包まれることを記録しながら、ヨハン・シュトラウスが出演したことをスルーしているエピソードは象徴的。2022/10/11
DABAN
1
音楽とは芸術であり、心を豊かにするものと考えられている。だが明治日本に西洋音楽を持ち込んだ教育官僚伊澤修二にとってはそうではなかった。19世紀の音楽とは、集団のなかで響き合うものであり、ひとりひとりの身体を動かすものだったのだ。高遠藩の少年鼓笛手として出発した伊澤は、米国で自然科学を学び、進化論や音声生理学を通じて、身体が響き合う装置としての音楽を身につける。そんな伊澤にとって、明治末期における芸術音楽の興隆は嘆かわしいものだった。集団をつくる音としての音楽。それは現在の唱歌にも受け継がれているだろう。2020/04/18