虹色の空―“カンボジア虐殺”を越えて1975‐2009

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  • サイズ B6判/ページ数 310p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784393495292
  • NDC分類 289.2
  • Cコード C0095

出版社内容情報

ポル=ポト政権下で一命を取りとめ日本に逃れた少女は30年の時を経て虐殺の地へ再び降り立つ。闇夜に虹を架けたドキュメント。

内容説明

暗黒のポル・ポト時代を生きぬき日本にたどりついた少女は、30年の時を経て、ふたたび、あの「虐殺の丘」へ向かう。現地に暮らす「加害者」と、幾万の犠牲者を弔うために―世界に希望の灯をともす、奇跡のノンフィクション。

目次

第1部 色のない空―カンボジア 1975‐1980(輝いた日々;惨劇の始まり;故郷を奪われて ほか)
第2部 同じ空の下で―日本 1980‐2004(希望の星;二つの世界;差別と絆 ほか)
第3部 祈りの旅へ―カンボジア/日本 2004‐2009(夢に導かれて;地獄の門を抜けて;クメールの微笑 ほか)

著者等紹介

久郷ポンナレット[クゴウポンナレット]
1964年、カンボジア、プノンペンに生まれる。75年、ポル・ポトによる暴政開始。両親・きょうだい4人を失い、みずからも強制労働下でマラリアにかかるが、死の瀬戸際で一命をとりとめる。79年、ポル・ポト政権崩壊。タイ国境のカオイダン・キャンプに脱出、80年に来日。16歳で神奈川県の小学校に入学。88年、日本人男性と結婚。2005年、母妹が亡くなったカンボジア、コンポン・トム州ストウン郡プロン丘の「キリング・フィールド」へ。僧侶を仲立ちに、当時の村民とともに慰霊の儀式を行なう。06年、プノンペンのランカー寺に家族と現地の犠牲者のための慰霊塔を建立。08年、本書『虹色の空』のカンボジア語版、09年に英語版刊行。戦争体験の当事者として現在も各地で講演を行なっている。夫と2人の子どもと共に神奈川県平塚市に住む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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瑪瑙(サードニックス)

32
ポル・ポトの大虐殺という言葉は知っていた。でも当時子供だった私にはよく分からなかった。この本はその大虐殺から生き残り日本へやってきた少女の成長と心の軌跡だ。そんな幼い少女が過酷な強制労働や病気からよくぞ生き残ったと思う。本当に酷い状況だったのだ。強制的にプノンペンの住民を移住させて強制労働させ、元々いる住民からも差別される。人間は我が身が可愛いからそういう状況になると残酷な事もできてしまう。そして知識人を虐殺し、労働力にならない人間を虐殺する。いったいポル・ポトは何をしたかったのかが分からない。2022/04/11

コーキ

6
カンボジア。ポル・ポト。強制労働に従事する少女たち。新住民と旧住民。大学行きやイモ栽培。……ジェノサイドの生還者の記録を、無知を恥じつつ読みました。人間の醜い一面や汚い一面、強い一面や美しい一面など、極限状態におかれた人々のさまざまな側面が記されていました。空の色が消えるって、どういうことなのでしょう。僕には分かりません。でもたとえ理解することが難しかったり、分かり合うことが出来なかったりするのだとしても、無視することだけはしてはいけないと思いました。とても複雑な読後感です。2015/03/21

koz

5
「殺す」というあからさまな言い方の代わりに「イモ栽培」とか「大学行き」という言葉が使われていました。事情をよく知っている旧住民の少女たちは、何も知らないはずの私たちにその真相を言いたくてむずむずしていたのです(p94)11歳の少女だった筆者を含むプノンペンを追われた「新住民」への過酷な差別とそこで行われた虐殺。家族を失った当時のことを語るのは本当に辛く多くの人が今なお口を閉ざしているとのことだが、「難民」先の日本で筆者は小学校を19歳で卒業、基金を設立し当時の虐殺の加害者側に赴き合同慰霊を成し遂げた。2015/12/27

今庄和恵@マチカドホケン室/コネクトロン

2
どうしたら恨みを乗り越えられるのか、それが気になって手にとった本。自分の幸せに集中すれば、ほかはどうでもよくなるのだな。2011/11/29

マリン

1
世の中には知らなきゃいけないことがまだいくらでもある。2010/01/15

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