出版社内容情報
異色の禅僧と気鋭の神父がたがいの教義と実践から、倫理の基礎、戦争・死刑・経済といった具体的問題まで、主張と疑問をぶつけあう。異色の禅僧と気鋭の神父が仏教とキリスト教の核心をめぐって真剣勝負。無我、無常、輪廻、涅槃、慈悲、三位一体、原罪、復活、神の国といったたがいの教義の基本から、宗教者の社会実践、倫理の基盤、戦争・死刑・グローバリズムなど具体的な社会問題に至るまで、遠慮なく主張と疑問をぶつけあい、いま宗教は何を語ることができるかを問う白熱の対話。
南 直哉[ミナミジキサイ]
1958年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1984年、曹洞宗で出家得度、同年、永平寺に入山。以後、約20年の修行生活を送る。2003年に下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代。著書は『語る禅僧』、『老師と少年』、『人は死ぬから生きられる』他多数。
来住 英俊[キシヒデトシ]
1951年生まれ。東京大学法学部卒。1981年にカトリックの洗礼を受け、御受難修道会に入会。1989年に司祭叙階。「祈りの学校」を主宰。著者に『「ふしぎなキリスト教」と対話する』『気合の入ったキリスト教入門』「目からウロコシリーズ」など。
内容説明
輪廻や復活は本当にあるのか、三位一体は矛盾ではないか、無我ならば倫理の責任主体はどうなるのか、聖書の話を事実だと信じているのか―おたがいの教義へ容赦ない疑問をぶつけるとともに、戦争、自死、死刑、政治経済、グローバリズムなど現代の諸問題に仏教とキリスト教はどう応答するかを問う白熱討論。
目次
第1章 仏教をめぐる迷宮(『善の根拠』を書いたわけ;「私とは何か」を問うていくと;世界が解体する体験 ほか)
第2章 キリスト教の本音(キリスト教の根本にあるもの;責任の主体は人間である;全能とはいかなることか ほか)
第3章 宗教者の覚悟と倫理のゆくえ(宗教者の出番;カトリックは夫婦関係の破綻をどう処理するか;善の根拠と他者の範囲 ほか)
著者等紹介
南直哉[ミナミジキサイ]
1958年、長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店に勤務。1984年、曹洞宗で出家得度、同年、大本山永平寺に入山。以後、約二〇年の修行生活を送る。2003年に下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代
来住英俊[キシヒデトシ]
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業後、電気メーカーに就職。1981年にカトリックの洗礼を受け、御受難修道会に入会。1989年に司祭叙階。祈りの指導を中心に活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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