禅と福音―仏教とキリスト教の対話

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禅と福音―仏教とキリスト教の対話

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  • サイズ B6判/ページ数 335p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784393323649
  • NDC分類 188.8
  • Cコード C0014

出版社内容情報

異色の禅僧と気鋭の神父がたがいの教義と実践から、倫理の基礎、戦争・死刑・経済といった具体的問題まで、主張と疑問をぶつけあう。異色の禅僧と気鋭の神父が仏教とキリスト教の核心をめぐって真剣勝負。無我、無常、輪廻、涅槃、慈悲、三位一体、原罪、復活、神の国といったたがいの教義の基本から、宗教者の社会実践、倫理の基盤、戦争・死刑・グローバリズムなど具体的な社会問題に至るまで、遠慮なく主張と疑問をぶつけあい、いま宗教は何を語ることができるかを問う白熱の対話。

南 直哉[ミナミジキサイ]
1958年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1984年、曹洞宗で出家得度、同年、永平寺に入山。以後、約20年の修行生活を送る。2003年に下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代。著書は『語る禅僧』、『老師と少年』、『人は死ぬから生きられる』他多数。

来住 英俊[キシヒデトシ]
1951年生まれ。東京大学法学部卒。1981年にカトリックの洗礼を受け、御受難修道会に入会。1989年に司祭叙階。「祈りの学校」を主宰。著者に『「ふしぎなキリスト教」と対話する』『気合の入ったキリスト教入門』「目からウロコシリーズ」など。

内容説明

輪廻や復活は本当にあるのか、三位一体は矛盾ではないか、無我ならば倫理の責任主体はどうなるのか、聖書の話を事実だと信じているのか―おたがいの教義へ容赦ない疑問をぶつけるとともに、戦争、自死、死刑、政治経済、グローバリズムなど現代の諸問題に仏教とキリスト教はどう応答するかを問う白熱討論。

目次

第1章 仏教をめぐる迷宮(『善の根拠』を書いたわけ;「私とは何か」を問うていくと;世界が解体する体験 ほか)
第2章 キリスト教の本音(キリスト教の根本にあるもの;責任の主体は人間である;全能とはいかなることか ほか)
第3章 宗教者の覚悟と倫理のゆくえ(宗教者の出番;カトリックは夫婦関係の破綻をどう処理するか;善の根拠と他者の範囲 ほか)

著者等紹介

南直哉[ミナミジキサイ]
1958年、長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店に勤務。1984年、曹洞宗で出家得度、同年、大本山永平寺に入山。以後、約二〇年の修行生活を送る。2003年に下山。現在、福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代

来住英俊[キシヒデトシ]
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業後、電気メーカーに就職。1981年にカトリックの洗礼を受け、御受難修道会に入会。1989年に司祭叙階。祈りの指導を中心に活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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akihiko810/アカウント移行中

21
再読。カトリック司祭と禅僧の対談。印象度B+ 今度「宗教」がテーマの読書会をやるので、そこで紹介しようかと思って再読。しかし内容が結構専門的で難しく、読書会でレジュメ作って紹介するのは自分には難しそうだ。二人とも哲学に詳しいのがすごい。 南老師はスリランカのスマナサーラ長老を「結局、要は就職で僧侶になった人。「苦しい」という感覚がないから私には響かない」と分析。老師のキーワードはやはり「苦しい」で、何度も出てくる。どれだけ苦しいんだと苦笑いしてしまった2022/06/07

さっちも

20
全くの私事ですが、こういう本を読む人は少ない。それを読んで小躍りしたくなるような嬉しさを覚えるのはなお、、、。マイノリティーなのだなぁと思う。しみじみ。だから強烈に引き込まれる一冊でもあります。充実し楽しい読書でした、私の人生に少しでも活かせたらどんなに人生が豊かになるか、そう思えました^_^2017/06/01

Francis

15
曹洞宗の僧侶とカトリック司祭との対話。お互いに相手の信仰について質問し、回答することで理解を深めていく形式。私も来住神父様と同じカトリック信徒だが、神父様の説明で私がこれまで知らなかったカトリックの教義についてさらに考えを深めることが出来た。お二人に感謝。2018/05/09

乱読家 護る会支持!

8
キリスト教は、神と人が共に歩む旅路(物語)の宗教。その旅路の終着点が「神の国」。神は同伴者であるが、先導者や案内人ではない。人が選択しなければならない。選択の責任は人にある。創造は神の過剰である。全能とは「神が人間のために望まれたよきことは、最終的には貫徹する」こと。「神の国」は社会。三位一体については、あと千年くらい考えさせてくれと言った方がよい。天国と神の国は違う。神の国の労働は、チクセントミハイのいう「フロー」なのかも。キリスト教は、「言語」よりも「物語」に力点を置く。2019/05/16

peace land

8
とても良い本だった。味わいながら読んだ。読者のそれぞれのレベルで共感できるのだろう。私ももっと知識があればもっと楽しく読めるのではないかと思った。來住神父様は誠実そのもの人柄が本にも表れていて、キリスト教について深く気づくことも多かった。2017/06/12

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