内容説明
養父の狂乱により両腕を切り落とされた名妓―。絶望を乗り越え、身体障害者の救済に捧げた感動の生涯。
目次
第1部 無手の法悦(廓の春のおどり;恋の刃;母恋し;死の扉 ほか)
第2部 筆を口にとりて(小鳥のおしえ;種蒔く人;みそひともじ;ささやかなえにしにも ほか)
第3部 歌日記
著者等紹介
大石順教[オオイシジュンキョウ]
明治21年(1888)、大阪道頓堀に生まれる。17歳の折、舞踊の修業を指導していた養父が狂乱の末、一家5人を斬殺、巻き添えとなり両腕を失うが奇跡的に生還。絶望と周囲の好奇の目に耐えつつ、巡業芸人生活、画家との結婚、二児の出産、離婚などを経て、出家得度。自在会(のち仏光院となる)を設立し身体障害婦女子の福祉活動に献身。一方、口で筆をとり絵画・書にはげみ、昭和30年、口筆般若心経で日展書道部入選、同37年には世界身体障害者芸術家協会会員として東洋初の認証を受ける。昭和43年(1968)、80歳にて死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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井月 奎(いづき けい)
32
気のふれた義父に両腕を切り落とされた芸妓が母となり、尼となります。両の腕のないそのことは想像の届かない辛さがあったと思います。その生活の中で手のない鳥が子に餌をやり、翼の自由がきかない籠の中で過ごす様子を見て、腕がなければあるものを使えば良いという思いに至り、口に筆をくわえ紙を前にした時に涙が止まらなかったそうです。身体のこと、そのことの不遇にも涙しなかった順教が字の知らぬことを恥じて泣いたのです。身体の不具合よりも心の不具合こそが人の不幸だというのです。私には届かぬ崇高さですが、憧れることはできます。2023/10/08
新父帰る
4
1968年3月初刊。知る人は知っているのだろうが、私は今日までこの書も作者も知らなかった。著者は芸妓で17歳の時に養父に双腕を日本刀で切り落とされた。その他一家5人が殺害されている陰惨な事件だ。著者だけが奇跡的に助かったが、重傷を負った当人が意識不明になることなく、気丈に構え続けたのは、尋常ではないものを感じる。結婚もし、子供も設け、また仏門に入り、身体障碍者の心のケアにも尽力した生涯が綴られている。印象に残った言葉は肉体は障碍者であるが、心の障碍者にならないことという説諭だ。高野山の奥の院に腕塚がある。2023/06/06
yuki
3
事件の全貌を大石先生の辛い思い出を呼び起こしながら書かれている様が胸に迫る。学校に行ける事、普通に食事をとれる事、私たちが普段当たり前に出来ると思っている事は実は当たり前の事ではないのである。2010/02/01
よう
2
明治の頃、舞妓をしていた17才で刃傷事件により双腕を落とされた大石順教尼が80代で亡くなる前年に記した自伝。過去の話は40代で書かれた最初の自伝、堀江物語にも詳しい。なんていうか時代としても明治大正昭和と変わり関東大震災にまた戦争。波乱の人生、激しい事件も自省的な静かな言葉選びで回想されるが、その奥にある激しい精神の闘いを感じる。冒頭にたくさんの白黒写真が収録されている。実在する人物で、実話なんだよなぁ。本当にすごい。2017/09/14
狐狸窟彦兵衛
2
「堀江6人斬り」の被害者。養父の起こした大量殺傷事件で両手を切り落される重傷を負いながら奇跡的に一命を取り留め、その後、障がい者支援に力を尽くした大石順教尼の回顧録。人は、これほどにも他人を恨まず、愚痴を言わず、感謝の気持ちで生きられるのか、と感激、感動させられる一書。あるご縁で頂いた本です。2012/08/08