出版社内容情報
西田と大拙の交流や主たる思想に触れつつ、個たる自己は絶対自由である他者とどう共生すべきかという今日的な課題への可能性に迫る。
内容説明
仏教的かつ歴史的・人格的な宗教哲学を展開しようとした西田幾多郎、禅と真宗を日本的霊性の展開として捉え、真空妙用・還相回向にその本質を見た鈴木大拙。両者の交流や思想をたどりつつ、自由や共生など、今日的な課題への可能性を探る。
目次
序章 寸心と大拙の心の交流について(若い頃の寸心と大拙の交流;寸心の参禅と大拙の影響 ほか)
第1章 鈴木大拙の宗教思想(禅と浄土―大拙の仏教観に学ぶ;大拙の「自由」論)
第2章 西田幾多郎の宗教哲学(寸心の真宗;寸心の禅思想―逆対応即平常底の宗教哲学)
第3章 仏教から西田哲学へ(現代社会の課題;共生ということ ほか)
付章 私の師・秋月龍〓(みん)の宗教思想について(「初めに大悲ありき」;「即今・此処・自己」の真実 ほか)
著者等紹介
竹村牧男[タケムラマキオ]
1948年東京生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。文化庁宗務課専門職員、三重大学助教授、筑波大学教授、東洋大学教授を経て、現在、東洋大学学長。専攻は仏教学・宗教哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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マウンテンゴリラ
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先に読んだ、「仏教3.0を哲学する」において議論されていた、私とはなにかという問題、そして宗教と哲学の接点ということに関して、以前に読んだ本書のことを思い出した。西田幾多郎と鈴木大拙。絶対矛盾的自己同一と即非の論理。およそ100年前にも宗教と哲学の共働、浄土宗、禅宗といった宗派、さらには仏教とキリスト教の垣根さえ越えようとする、霊性という根本に還った共生への導き。個人的には彼らの思想にかなった生き方にはほど遠いが、現代の我欲に満ちた言論界を思えば、なおさら日本人として、その深さ、巨大さを感じざるを得ない。2019/01/30
マウンテンゴリラ
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西田幾多郎と鈴木大拙。日本を代表する(どころか世界的にも著名な)思想家、宗教家であり、かつ、終生深い友情で結ばれていた二人。そのことだけでも、深い尊敬の念を抱くが、教養に乏しく、かつ人生経験においても凡夫である自身には、遠く深い議論であると感じられた。しかし、自身のことに関して言えば、このような自分でも阿弥陀如来は救いの手を差し伸べてくださる。ならば、少しでもそれに値する人間になりたいと思う。これが、人間というものであり、宗教の価値であると言えるのかもしれない。→(2)2013/06/08