なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか

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なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか

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  • サイズ B6判/ページ数 194p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784336053596
  • NDC分類 778.77
  • Cコード C0095

出版社内容情報

宮崎アニメーションにひそむ遠大なプロジェクトへの疑念と浄化との訣別をあざやかに読み解く。フジモトとは何者なのか。宮崎駿が口にする「半径?メートル」の意味とは。宮崎はなぜモブシーンにこだわるのか。生涯最後の長編アニメーション作品『風立ちぬ』はなぜ観るものにカタルシスをもたらさないのか。宮崎アニメーションにひそむ遠大なプロジェクトへの疑念と浄化との訣別をあざやかに読み解く。

はじめに――なぜモネなのか
一 フジモトとは誰か
二 『風立ちぬ』と半径300?
三 宮崎作品と身分、階級、序列
四 「人がゴミのようだ」と言ってはいけない
五 宮崎駿と「教養主義」
六 なぜ「二郎」と呼ばれ「堀越」と呼ばれないのか

荻原 真[オギハラマコト]
1958年東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。中央大学文学部卒業。思想史。
著書に『日本人はなぜ脳死・臓器移植を拒むのか』(新曜社、1992年)、『小林秀雄とは誰か―断ち切られた時間と他者』(洋々社、1999年)、『西洋哲学の背骨―知っておきたいプラトン、デカルト、カント、サルトル』(新曜社、2006年)、『なぜポニョはハムが好きなのか―宮崎アニメの思考』(洋々社、2009年)、、『なぜ宮崎駿はオタクを批判するのか』(国書刊行会、2011年)、共著書に『20世紀を震撼させた100冊』(出窓社、1998年)、共訳書にメルキオール『現代フランス思想とは何か―レヴィ=ストロース、バルト、デリダへの批判的アプローチ』(河出書房新社、2002年)などがある。

内容説明

なぜパズーはハトを飼っていたのか。なぜムスカは手帳に頼るのか。なぜソフィーは帽子屋なのか。なぜサリマンは温室のなかにいるのか―宮崎アニメーションに見られる対比、対立の論理をあざやかに読み解き、アシタカがサンに投げかけた言葉「共に生きよう」の意味の広がりを展望する。

目次

四十秒でパズーは何のしたくをしたのか
冷たい水と温かい水―キキの場合
冷たい字と温かい字―ルパンの場合
冷たい伝承と温かい伝承―ムスカとシータの場合
おとなによって引き離された一人と一匹
共生―「共」に「生」きること
ナウシカと“共生”
機械との共生
死者との共生
共生と“共食”
共生と“共鳴する身体”
“異なるもの”の立場に身を置いてみること
開かれていること
傷つくのを恐れないこと
ゲームを捨てよ、山や海に行こう

著者等紹介

荻原真[オギハラマコト]
1958年東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。中央大学文学部卒業。思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

あび

8
「タイトル詐欺だろこれ」的な気分にさせられながら読み進めていったのだが、最後の方で、「ああ、まあ一応詐欺ではないのか、うん」となった。今の子は、リアルの体験が希薄となり、全てバーチャル越しに見聞きしかしないので、感性が育たないし、想像力も養われないとの話は、宮崎駿が幾つかの著書のなかで語っていた。それについての言及だった。もっとオープンになって自然に接したり、異性に接したり、とにかく自分とは違うものを受け入れていけという話でした。そう思いますね。知らないことを楽しめるかどうかが、知性が育つかどうかになる。2017/07/13

mittsko

7
扇情的なタイトルだが、内容は実に行き届いた宮崎駿作品論。2011年刊。著者は、この他にも少なくとも二冊の宮崎本をもつ。 ※ 筆者の批評の方法は「対比」。宮崎作品の諸表象を、作品横断的に「対比」させつづけることで、この一つの作品群が有する、複雑な意味連関をあきらかにする。単一の意味体系を引きずり出そうとは決してしないが、中盤から終盤にかけ「共生」が一貫したキーワードになっているのは、ある大きな意味領野を描こうとしているのだろう。そして最後に、宮崎自身の言葉をひいて、本書タイトルの問いに答えていく。お見事!2021/08/16

きゃのん

4
すぐ読めた。 口承情報(シータのまじないや歌、風の谷のババ様の言い伝え)と文字情報(手帳に書き記すムスカ、ジコ坊の持つ朝廷の書付)の対比は面白い。普通は信頼されそうな文字情報(文字で記されているということは、権力者が支配している?)よりも、口承情報に真実があるというふうになっているという指摘。2016/01/19

ギルヲ

3
宮崎駿がオタクを批判してるなんて聞いたことないなあと思いつつ読みましたが、最後にちょこっと出てくるだけでしかもこんなの批判のうちに入らないのでタイトル詐欺と言ってよいかと。著者は宮崎アニメにちゃんと向き合って検証を重ねて一冊の本を仕上げている印象でそこは好感を持てますが、宮崎アニメのファンならみんな感じている(知っていると言ってもいい)ことを言っているだけなので、だからなに感は拭えません。このタイトルじゃなかったら「ああ、そうそう」って懐かしい感じで読めたかも。残念でした。2021/09/05

きいち

3
さまざまの比較や「共食」の価値などオリジナルの発見があり、「はじめて評論というものを読む14歳」のための入門書としてであれば優れた内容。飽き足らなかった読者は自然に、切通理作『宮崎駿の世界』に向かえるだろう。 だから、タイトルも装丁も造本も、決定的にターゲットを間違っている。作品に沿ったタイトルに太めのポップな書体と具体性の高いイラストの表紙、ヴィジュアルな本編、といった本であるべき。ちゃんと編集者が狙いを明確にしていれば、作者も、例えばレヴィストロースの使い方を誤らなかったろう。編集者の罪、だと思う。2011/11/24

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