出版社内容情報
歴史に学べと言うが、先行きの見えない時代の中で、それはどういうことなのか。当代屈指の思想史家が説く、歴史センスのみがき方。
片山 杜秀[カタヤマ モリヒデ]
著・文・その他
内容説明
「歴史」が足りないと、言葉は安っぽくなり、行動は独りよがりになり、前例を知らないので何でも新しいと錯覚し、思考が厚みを持たないので場当たり的になり、刹那の変化に溺れて、忍耐も我慢も欠いて、とんでもなく間違える…歴史に学べと言うが、先行きの見えない時代の中で、それはいったいどういうことなのか―。博覧強記の思想史家が説く、これからの「温故知新」のすすめ。
目次
序章 「歴史」が足りない人は野蛮である
第1章 「温故知新主義」のすすめ
第2章 「歴史好き」にご用心
第3章 歴史が、ない
第4章 ニヒリズムがやってくる
第5章 歴史と付き合うための六つのヒント
第6章 これだけは知っておきたい五つの「史観」パターン
終章 教養としての「温故知新」
著者等紹介
片山杜秀[カタヤマモリヒデ]
1963年、宮城県生まれ。思想史家。慶應義塾大学法学部教授。専攻は近代政治思想史、政治文化論。音楽評論家としても活躍。著書に『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、吉田秀和賞、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
39
歴史とか朱子学とかいいはじめると、不思議と保守的に聞こえるのはなぜなのでしょうか。2章に出てくるエドマンド・バーグも保守派でしょうし、本書にどこか全体的に保守的な雰囲気が漂います。著者はその批判に応えています。バーグのいう近代保守主義は、実は名前は変わってもいつでも同じ権力によるため超歴史主義だといいます。これに対して、1章に出てくる荻生徂徠の「温故知新」は、過去にあった様々なことを学ぶ→温故、過去とは重ならない新しい発想で対応する→知新、だといいます。ドラスティックに変わるのも歴史のうちです。ここに2019/02/10
禿童子
33
ひとくちに「歴史」といっても語り手の主義・信条によってその姿は一変する。それを逐一解説する著者の拠って立つ温故知新主義がいまいちつかみづらい。「歴史好き」は保守主義者が多いというのはうなずける。日本の一般庶民の物の見方は「勢い」がある方に従う、長い物には巻かれろ、というのはその通り。歴史に学ばない。その通りだと思うけど、じゃあ具体的にどうすればいいのか、知識人でない人にもわかる処方箋は示されていないと思う。2019/10/19
Kentaro
32
歴史はどう切り分けて何を背骨に見るかによって、どうとでも言える。そして今日次第で歴史の見え方は変わる。切り方も変えた方がよいことがある。今に合うものさしに取り換えながら見ることになる。一つのものさしを信じすぎてはいけない。歴史とは客観的な事実を見据えることだと思いがちだが、どんな人も主観からは逃れられない。自分が歴史の中にどういう願望を投影しているか、その自覚がないと、視野の狭い「特定歴史真理教」に陥る。これは最低最悪であって、私はこうだけれども、あなたの立場からするとこうですねという対話を不可能にする。2019/03/13
trazom
29
片山先生は、歴史に対する姿勢として「温故知新主義」を提唱する。荻生徂徠が指摘した「事の変ずること窮まりなし」という不確実性を認めた上で、謙虚な相対主義に立つ姿勢である。本書では、それに対立する概念として、「保守主義」「啓蒙主義」「ロマン主義」「ユートピア主義」等を徹底的に批判する。そして最後に、田辺元博士が登場する。「偶然性こそが歴史の要諦。歴史に束縛されている我々は、偶然の奴隷であり、つまり自由なのだ!」として、実存主義の「投企」という概念に到達するのだが、その論理展開の何とアクロバティックなことか…。2019/03/27
樋口佳之
26
温故知新主義を掲げ、歴史に触れる事の意味とその作法をアンチパターンを列挙する中で語っている本かな。/勝った者には皆が従う。従わせることに成功した者は徳があると評価される。そうした思考回路が機能していないと、「悪逆非道だから徳が高い」という日本語は成立しません。『日本書紀』にはその成立しない文章が堂々と書いてあるのだから、古代日本人の思考では、徳は勢いから独立していないことになります。/「勢いのある者」についていったほうが間違いが少ない。「勢い」史観は、いちばん原初的な歴史観なのかもしれません。猿でも分かる2019/02/11