内容説明
哲学することは人間を拒絶して超人になることだ。スピノザ、ニーチェ、ドゥルーズを超えて新たな思考と身体をつくりだし、すべての哲学入門を裏切る新たなる哲学への導き。
目次
序論 超人への倫理
第1章 道徳と倫理の差異
第2章 超人の身体
第3章 超人の認識
第4章 超人の原理
結論に代えて―実験としての超人
著者等紹介
江川隆男[エガワタカオ]
1958年生まれ。哲学者。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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harass
54
古本で手に入れ六年ぶりの再読。六年か…… 先月2月はこの本を何度も読み返していた。スピノザ、ニーチェ、ドゥルーズらの概念から、道徳から自由な「超人」になることを目指す本。難解な箇所も多いのは変わらないが、前回の読書のときと感じ方が異なっているのがわかる。スピノザの訳のわからなさに相変わらず頭を捻る。万人におすすめする本ではないが、個人的に非常に刺さる部分が多かった。第三章超人の認識は特に良い。2023/03/02
harass
49
スピノザ・ニーチェを引用し、超人になること、ごく一部の人間のみが超人になるのではなく、だれしもちょっとの間だけでも超人になりうるのだと、主張する著者の倫理入門。だれに聞くのも難しいなと考えていたことが論じられていて、おおと個人的に恐れ入る。まるで自己啓発書のように感じる哲学書。これは購入する。図書館で借りた本で一通り目を通して返却。改めて読み直したい。スピノザに興味がでた。なんやこの思想家は。2017/04/22
非日常口
32
差異を肯定することは多様性の肯定である。しかし、「本音はこうだけど、こういう人がいても自由」といった「諦め」からくる誤魔化しではない自身との和解が求められる。このモノ性と身体の触発から思惟属性が同時的・並行関係に触発される。精神の暴走を誘発するような誰もが求めるキレイな言葉・表象ではなく、ある者の個別性から特異性を区別する基準を変え普遍性を動かすために、意志の超越的使用から力能の意志の内在的使用へ、解釈の一義性に向かう、出来事のテクストが本書である。副題「〈哲学すること〉入門」という動詞的意義は深い。 2016/02/29
ハチアカデミー
8
超人とは何か、ではなく誰もが持つ超人性を自覚することを説く倫理論。道徳とは作られたものであり、自由意志なんてものは知識から作られるものであり、かつ治世者が作り出すものに過ぎない。そうではなく、己のなかにある「よい/わるい」を知覚することで、全ての前提条件を取っ払った判断・行為が可能となる。それこそが倫理であり、哲学である。アジテーションする文体も良いし、ハッとさせられる一文も多い。神の不在という現代の抱える問題を前提に、だからこそ倫理が必要だと叫ぶ著者の原理主義者っぷりに圧倒された。それでも祈れとな。2013/03/19
Bevel
7
「従来の西洋哲学における認識論はあるいは存在論は、そのほとんどが対象の個別性と一般性にしか関わっていないと言えます。私たちは、特異性と普遍性に関する認識論や存在論を考えてみなければなりません(p.133)」。この課題のうち達成されたのは半分に見える。必然的なものに関わる行為の最近原因として対象のあり方(このもの性)が存在するという主張がもし「普遍的」ならば、任意の行為は必要条件として「対等に」特異性をもつように思われる。しかし、この本はそのようになっていない。2014/01/09