出版社内容情報
マゾッホを全く新たな視点で甦らせながら、「死の本能」を核心とするドゥルーズ前期哲学の骨格をつたえる名著。45年目の新訳。
内容説明
マゾッホをサドの陰から救い出し、その独自の新しさ=特異性を発見するとともに、差異と反復の希求というドゥルーズ哲学の核心をあきらかにした重要な名著を45年目に新訳。サドの「否定」、「アイロニー」に対するマゾッホの「否認」と「契約」、そして「ユーモア」をとりだし、その根底に「死の本能」を見出す、いまこそ斬新な思考の生成。
目次
サド、マゾッホ、ふたりの言語
描写の役割
サドとマゾッホの相補性はどこまで及ぶのか
マゾッホと三人の女性
父と母
マゾッホの小説的要素
法、ユーモア、アイロニー
契約から儀式へ
精神分析
死の本能とはなにか
サディズムの超自我とマゾヒズムの自我
著者等紹介
ドゥルーズ,ジル[ドゥルーズ,ジル] [Deleuze,Gilles]
1925‐1995。哲学者
堀千晶[ホリチアキ]
1981年生。フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
syaori
54
本書が語るのは、サドとマゾッホの物語は「まったく別」のもので、サディズムを反転させればマゾヒズムについて語れるわけではないということ。法の原理に対しアイロニーに満ちた方法でその欺瞞を告発するサドに対し、法に服従しながら「これをしてはならない」を「これをしなければならないに変換」しその不条理を示すユーモアに満ちたマゾッホの方法というように作者は両者の志向や手法の違いを様々な角度から明らかにします。それによりサド=マゾヒズムという幻想を鮮やかに解体し、加えて彼らの物語の魅力や意義も改めて教えてくれる本でした。2019/09/06
ころこ
38
タイトル通りMが主題であり、Sとは非対称であるというのが主張です。Sは否定です。主体から相手に対する直接的な暴力や拷問により、制度として相手の欲望や快楽を否定します。主導権は暴力や拷問をした側にあります。それに対して、Mは否認です。現実は違うが、あたかもそうであるように振舞うことによって、現実を宙吊りにして新たな地平を拓く。相手との契約によってはじめて成立する相補的な関係であり、主導権はむしろ暴力や拷問をされる側にあります。本書を手に取る動機が疚しいものであっても良いのです。AVなどを観ても、Mは時として2021/10/02
しゅん
17
ここでドゥルーズが論難している「サドだけ読んでマゾッホを取り上げない人間、マゾッホをサドの補強物としかみない人間」って正に私のことでした。サドとマゾッホは全く関係ないことを精神分析などを用いながらひたすら説明する。マゾッホの文章における「虐げられるのは父」「父権を無化する母権の非情さ」はもっと考えなくてはいけない気がする(まずはマゾッホを読まなくてはいけない)2019/12/30
渡邊利道
6
精神分析に影響を受けたサド=マゾヒズムという双子的な思考(理解)を退け、サド的なものとマゾッホ的なものをまったく違う「配分」「構成」による思弁的な欲望であると明晰で果断な文章でぐいぐい描いていく哲学的文芸評論、あるいは文芸を扱った哲学書。概念を分類しながら再配分するスピード感がまったくもってドゥルーズを読む醍醐味を感じさせる。フロイトの精神分析が超越論的なのだというのはけっこう核心を突いていて面白い。新訳でさらにスッキリ明晰になった印象。2018/03/11
またの名
5
自転車を漕ぐショーパン女性の下で猛烈に回るペダルに傷つけられそうな状態から脚を撫でるのが典型的なマゾの幻想、との命題に性癖がチラ見えする哲学者の研究書。マゾヒズムの女性拷問者は自分でも加虐にためらうので被虐者からむしろ調教されなければいけない等、サディズムとは別物だから区別し、また苦痛=快の図式は正しくないことを指摘。苦痛そのものは性的ではなく、自律的な反復が繰り返すだけの脱性化がさらに再性化されエロスになる。死の本能が一方的な思弁的論証として思考されるとサド、神話的理想として想像されるとマゾだと議論。2021/12/17