内容説明
ドゥルーズが盟友への敬愛をこめてまとめたフーコー論の決定版。「知」「権力」「主体化」を指標に、フーコーの軌跡と核心を精緻に読み解きながら、「外」「襞」「線」などドゥルーズ自身の哲学のエッセンスをあざやかにあかす。二十世紀、最も重要な二つの哲学の出会いから生まれた思考のドラマをしるす比類なき名著。
目次
古文書からダイアグラムへ(新しい古文書学者―『知の考古学』;新しい地図作成者―『監獄の誕生』)
トポロジー、「別の仕方で考えること」(地層あるいは歴史的形成物、可視的なものと言表可能なもの―知;戦略あるいは地層化されないもの、外の思考―権力;褶曲あるいは思考の内―主体化)
付記―人間の死と超人について
著者等紹介
ドゥルーズ,ジル[ドゥルーズ,ジル][Deleuze,Gilles]
1925年生まれ。哲学者。1995年、自ら死を選ぶ
宇野邦一[ウノクニイチ]
1948年生まれ。京都大学をへて、パリ第8大学でドゥルーズのもとに学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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またの名
15
友達がデリダだと言うこと考えることの齟齬と矛盾をいちいち指摘してきてウンザリしそうだが、死後に最高の分析を捧げてくれるドゥルーズなら思想家にはこれ以上ない喜びでは。言表の様式は多様な特異性の発散に読み換えられ、制度と装置の作用に地層化とダイアグラムが挟み込まれて、言説と非言説の間に権力と戦略と思考と抵抗を浮かび上がらせる筆致は、もうフーコー本人だかドゥルーズ固有だか判らないもののポテンシャルを引き出す。細部から生の肯定を読み取って外と襞のトポロジーを抽出する手際はいつになくシンプルだけど難易度は中級以上。2015/08/19
なっぢ@断捨離実行中
13
入門の手引きとはいえ著者はあのドゥルーズである。はじめは穏当に解説に徹してくれるのだが、章が進むにつれて自由間接話法が顔を出し「襞襞襞襞……要は襞なんだよ!」と最後はお前誰だよ状態に。これなんてフルーズ?いや果物じゃないんだけれども。にしてもドゥルーズは本当に(訳のわからぬまま勢いで)文章を読ませてくれる。本家本元と比べたら世のドゥルージアンなどと名乗る連中はそれこそ退屈な優等生でしかない。ドゥルーズ的実践は少なくとも入門概説要約の類に疑問符を付けておかないと。ギョーカイの延命措置に加担してないでさあ。2017/05/15
swshght
11
フーコーの死から二年後、ドゥルーズはこのフーコー論を書き上げた。訳者が指摘するように、ここでは友情や親交は影を潜めている。ドゥルーズの饒舌さは、「盟友」フーコーではなく、「テクスト」としてのフーコーへと向かう。言うまでもなく、この読解は単なる解説ではない。確かにドゥルーズはフーコーの主要概念を整理してはいる。そのエッセンスを5行ほどでずばりと記述する手さばきはさすがだ。だがドゥルーズは自身の存在を透明化しない。むしろ現前させる。「イメージ」「襞」「分身」といった概念はいつしかドゥルーズ化され変貌を遂げる。2014/08/31
ラウリスタ~
10
フーコーの追悼文としてのフーコー概説。フーコーが考えたことをドゥルーズによる大胆な切り口でひもとく。途中から、フーコー関係なくドゥルーズによるドゥルーズを読んでいる気分になるが、それもよし。フーコーの監禁、権力といった問題を副次的なものとし、むしろパノプティコン、マネ、侍女達をつなぐ光線に注意を向ける。ラストは襞、襞、襞。フーコーってそんなこと言ってたっけ?という、フーコー読解の幅の広さ。2014/04/07
Bevel
9
千のプラトーなんかを読んでると、領土化とコード化の問題なんかが出てきて、何かを自分のものにすることに関わってるんだろうなあ、となんとなくわかった気がするけれど、うまく言えない、そんなことになると思うんです。領土化される地層を理論的に基礎づける表現(言表可能なもの、刑法、コード)/内容(可視的なもの、監獄)の二元論、そして、それとは別に重なるようにして現れる地層=知と、機能的実体である特異点=権力の二元論、この二つの二元論の絡み合いがわかりやすく書かれているのがこの本です。翻訳も読みやすいです。ぜひ。2011/05/08