河出文庫
思索の淵にて―詩と哲学のデュオ

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  • サイズ 文庫判/ページ数 188p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784309414386
  • NDC分類 911.56
  • Cコード C0192

出版社内容情報

哲学者・長谷川宏が、茨木の詩からおよそ30篇を選び、それぞれに触発される思いをエッセイの形にまとめてゆく。初めての文庫化。

【著者紹介】
詩人。1926ー2006年(生誕90年/没後10年)。詩作品に「わたしが一番きれいだったとき」、詩集に『倚りかからず』など。

内容説明

「わたしが一番きれいだったとき」などで知られる国民詩人茨木のり子の厳選二十八篇の名詞に、ヘーゲル研究の第一人者である在野の哲学者がエッセイで応える極上のコラボレーション。詩と散文が交響する、至福のひととき。没後十年を迎える詩人との、異色の一冊ともいえる詩文集の、待望久しい初文庫。

目次

幾千年
ミイラ

天国の鍵
青年
孤独の顔
女の子のマーチ
子どものエネルギー
ある一行
絶望と希望〔ほか〕

著者等紹介

茨木のり子[イバラギノリコ]
1926年、大阪府生まれ。詩人。同人誌『櫂』の創刊にかかわる。翻訳に『韓国現代詩選』(読売文学賞)などがある。2006年逝去

長谷川宏[ハセガワヒロシ]
1940年、島根県生まれ。哲学者。学習塾を開くかたわら、原書でヘーゲルを読む会を主宰。訳書に、『精神現象学』(レッシング翻訳賞他)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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モリー

31
茨木のりこさんの30篇の詩に、哲学者の長谷川宏さんがその一篇一篇に触発される思いを1500字程度の散文にして綴っています。副題には「詩と哲学とのデュオ」と書かれていますが、哲学的な思索はさほど展開されていないように思います。詩と哲学というよりは、詩と一哲学者とのデュオと言った方がしっくりきます。一篇の詩とそれに触発されて綴られた散文とを合わせて読むことで詩をじっくり味わうことができました。以下、長谷川宏さんのあとがきより引用。「凛とした気概と弱者への温かいまなざしがまぎれもない特質としてみてとれる」2019/01/26

呼戯人

16
ヘーゲル研究者の長谷川宏のエッセイは必ずしもうまいとは思わないが、何しろ茨木のり子の詩が飛び切りいいので、思わず誘い込まれて読んでしまった。詩と哲学のデュオは谷川俊太郎と長谷川宏のコンビでもやっているが、散文に対して詩の圧倒的な感情の深さが際立ち、引き付けられるのである。詩の読み方を知らない人にとってはエッセイの説明が読みに役に立つときもあるが、中々交響曲のように響き合うというところまではいかない。根府川の海やわたしが一番きれいだったときは茨木のり子の絶唱である。2016/02/14

苺畑序音

15
「いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり 誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある」2016/02/13

さたん・さたーん・さーたん

6
以前より関心のあった茨木のり子の詩に惹かれて。詩に合わせ哲学者がそれぞれに散文を書いているが、あとがきでふれて(反省して?)いる通り、哲学的な内容はあまり感じられない。詩を味わい、連想したことについての日記に近い。他人の感想が読める、という程度で楽しむ。世代は違うというが、私よりもずっと作者に近い年齢の、また激動の時代を生きた人でもあるので、私のような若者からは察することのできない時代背景や心情の解説は役に立つ。2018/06/30

ラム

2
長谷川はデュオと言っているが、在野のヘーゲル研究の第一人者が茨木の詩28篇にエッセイで答える 二人に面識はない 単行本刊行前に茨木は亡くなる 決して難解でなく、茨木の詩に触発された様々なイメージの奔流 「青年」に対する「孤独の顔」「行きずりの黒いエトランゼに」に対の「異文化体験」「問い」に対の「人類の死滅」では人間の一生(死)から人類の一生(死)を想像できるか問う そして「わたしが一番きれいだったとき」では「一番きれい」と戦争の単刀直入な対比が読む者を掴んで離さず、戦争の残虐さが浮かび上がるとする2018/02/26

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