昭和十八年 幻の箱根駅伝―ゴールは靖国、そして戦地へ

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  • サイズ B6判/ページ数 204p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784309277547
  • NDC分類 782.3
  • Cコード C0075

出版社内容情報

戦時体制下、中止していた箱根駅伝は、昭和18年の一度だけ靖国神社スタートで復活した。秘せられた幻の大会の全容を初めて明かす。

澤宮 優[サワミヤ ユウ]
1964年生まれ、スポーツ、ノンフィクションライター。『巨人軍最強の捕手』で、第14回ミズノスポーツライター優秀賞受賞。

内容説明

伝統の箱根駅伝は、軍部の圧力で昭和15年で中止された。しかし、学徒動員で死ぬ前にもう一度箱根を走りたい、という学生たちの強い願いは、戦勝祈願という名目で、靖国神社をスタートすることで開催にこぎ着けた。しかし多くの関係者はその後なぜ、口を閉ざしたのか。「紀元二千六百三年靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」と改名された幻の大会の全貌を徹底取材で描くノンフィクション。

目次

第1章 箱根には正月が二度やって来る
第2章 死ぬ前にもう一度箱根を走りたい
第3章 戦時下の青春―日大・成田静司の日記から
第4章 慶應、往路優勝!
第5章 復路始まる
第6章 戦時下の箱根駅伝
第7章 三つ巴の優勝争い
第8章 戦場へ
第9章 箱根を走った「誇り」

著者等紹介

澤宮優[サワミヤユウ]
1964年、熊本県生まれ。ノンフィクション作家。青山学院大学文学部卒業、早稲田大学第二文学部卒業。陰で懸命に生きる人物をモチーフに、スポーツから文学、歴史まで幅広い分野で執筆。2003年1月に刊行された『巨人軍最強の捕手』で、第14回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

がらくたどん

61
額賀澪さんの『タスキ彼方』を読みながら。戦時中のソフトなレジスタンスとしてのサブカルに興味があって集めていた資料本。大正期から大学生の長距離リレーとして日本人の「絆メンタリティー」とも合致して有力新聞社の後援も取り付け安定した人気を保てていた箱根駅伝が昭和15年以降軍部の意向で中止となる。王道文化がいきなり邪道文化の烙印を押されたわけだ。本書は徴兵が迫る学生たちが切り拓いた16年(青梅)と18年(箱根)の2度の「学徒鍛錬縦走大会」開催の記録。追跡できた主要選手の大会時と出征時の写真の対比が胸を打つ。2023/12/31

り こ む ん

39
甲子園も箱根駅伝も歴史が有るだけに、こうした幻の大会が誕生する。必勝祈願の名目で靖国神社箱根神社間の箱根駅伝開催への粘り強い努力。その大会への思い。環境は全く恵まれず、選手も不足している中での箱根駅伝。試合模様の章は、映像を思い浮かべながら、時間をかけて読みふけった。大会終了後の各選手の姿が…言葉もない。もっと走りたかっただろうし、年齢的に選手して一番の時期に…と、思うと…誰しもそうだった時代。戦争が奪ったものは多すぎる。しかし、名目はどうであれ、箱根駅伝を走った彼らの記録、姿は無くなることは無い。2016/12/22

kawa

16
太平洋戦争中、軍部の意向で中止となった箱根駅伝を「靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走競技会」として一時的にも復活させた様子のドキュメント。参加直後に徴兵され帰らぬ人となった選手も少なくないという。その為か、戦後生き残っても、この大会について多くを語らない選手もいたという点が印象的だ。2017/01/23

みなみ

11
戦局が厳しくなる中、中断された箱根駅伝。靖国神社から出発して箱根神社をゴールにするという、戦意高揚の名目で、なんとか大会を復活させた。伴走車は木炭車か自転車、距離表示は尺貫法。スパイクは供出、物不足で石油どころか鉛筆もない時代。それでも選手たちは走りたかったのはそのとおりだと思う。自分たちで走らなければ、駅伝は継承されなくなってしまうのだ。戦時下でも、なんとかスポーツの大会をやりたいという気持ちもわかる。戦時下でのスポーツ大会を悲劇のみで捉えたくない筆者の気持ちは、実際に関係者に取材したからこそだろうが2021/09/25

マカロニ マカロン

10
個人の感想です:A-。青山学院大学は2015、16年と2回回連続優勝中だが、同大学が初参加したのは1943(昭和18)年の大会だ。戦争が激化したため1940年で箱根駅伝が中止されてしまったが、関東学連と軍部のぎりぎりの交渉の末、「皇紀2603年 靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」と名を改めて12校が参加して開催された。戦争中で資金不足、食糧難、学徒出陣で選手不足で各校はチーム編成苦労をし、練習不足の中開催された。全校が完走できたが、その後参加選手たちは戦争に行き、多くの選手たちが戦死した。2016/10/17

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