支那派遣軍総司令官岡村寧次大将 (復刻新版)

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  • サイズ A5判/ページ数 356p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784309225760
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0021

内容説明

張作霖爆殺、満州事変、日中戦争、敗戦…元支那派遣軍参謀の著者が「岡村日記」を基に、日本が運命を賭した時代の深層に迫った力作を復刊。

目次

第1部 軍閥と諜報(中国に志して;諜報武官;蘇浙の戦雲;軍事顧問;蒋介石江南を制す)
第2部 動乱と戦争(張作霖爆殺善後策;満州事変;塘沽停戦協定;二・二六事件;中国に戦い終る)

著者等紹介

舩木繁[フナキシゲル]
1915年(大正4)東京生まれ。陸軍士官学校47期、陸軍大学校59期。終戦時、陸軍少佐、支那派遣軍参謀。1949年(昭和24)山一証券入社。1967年(昭和42)同社取締役西部地区長。のち関連会社役員、日本オートマチックマシン株式会社顧問を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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hdo obata

8
先の大戦時、中国大陸には支那派遣軍百万以上が駐屯し、泥沼の支那事変を戦っていた。そんな中で日本は南方方面(対米、英、蘭戦争)いわゆる太平洋戦争を始めたのである。南方方面での日本陸軍は約七十万人である。対中戦争を終わらせる目的ならば、援蒋ルートを遮断するために、戦場を限定できなかったのか?日本陸軍は広大な太平洋、東南アジアに薄くばらまかれていたのである。百万の大軍を中国大陸に釘付けにされながらである。こんな戦争を、小生の親の世代の日本人は戦ったのである。2021/08/22

筑紫の國造

7
いわゆる「士官学校16期三羽烏」の一人、岡村寧次の伝記。主に岡村が残した日記を主軸に、大正〜昭和の終戦までを描いている。岡村日記は公開されておらず、そのため本書で随所に引用される日記の記述は資料としても重宝する。文章は読みやすく、岡村という軍人を身近に感じることができる、なかなか優れた伝記だといえよう。特に、中国で情報収集などをしていた時代の記述が光る。反対に、派遣軍総司令官時代の記述はあまりなく、やや物足りなさを覚える。もう一つ言えば、参考文献はあるものの、どの記述によっているのかわからないのが残念だ。2021/06/13

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