内容説明
本書は、ディズニーのキャラクター・アニメーション技術を進歩させる上での試行錯誤の苦労について語るとともに、歴史に残る原画を数多く披露。それらの原画は、ミッキーマウスやドナルドダック、白雪姫やバンビなど、アメリカ文化の中でもっとも愛されているキャラクターを生み出すのに使われたもので、『ファンタジア』『ピノキオ』といった傑作の名場面を発展させるときに初期の段階で描かれたスケッチも掲載されている。
目次
ひとつの芸術形式が誕生した
草創の時代1923‐1933年
アニメーションの原則
発見1934‐1936年
漫画映画は成熟した―ノーム・ファーガソンとハム・ラスク
アピールとダイナミズム―フレッド・ムーアとビル・タイトラ
ハイペリオン―爆発
バーバンクと9人の古株
私たちの制作工程
画面をぴたりときめるには〔ほか〕
著者等紹介
トーマス,フランク[トーマス,フランク][Thomas,Frank]
1912生まれ。1934年9月にディズニー・スタジオに。アニメーターとして『ピノキオ』『バンビ』『シンデレラ』『ピーター・パン』など多数の作品に携わり、1978年にウォルト・ディズニー・プロダクションズを引退。1978年に、デルタ・カッパ・アルファ全米名誉映画友愛会の南カリフォルニア大学支部からパイオニア・イン・フィルム賞を授与され、ワシントンD.C.のケネディ・センターで、アメリカン・フィルム・インスティテュートからも賞を贈られている
ジョンストン,オーリー[ジョンストン,オーリー][Johnston,Ollie]
1912生まれ。1935年1月にディズニー・スタジオに。アニメーターとして『ピノキオ』『バンビ』『シンデレラ』『ピーター・パン』など多数の作品に携わり、1978年にウォルト・ディズニー・プロダクションズを引退。1978年に、デルタ・カッパ・アルファ全米名誉映画友愛会の南カリフォルニア大学支部からパイオニア・イン・フィルム賞を授与され、ワシントンD.C.のケネディ・センターで、アメリカン・フィルム・インスティテュートからも賞を贈られている
高畑勲[タカハタイサオ]
1935年、三重県伊勢市に生まれる。アニメーション映画監督。1959年、東京大学仏文科卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。1968年、劇場用映画『太陽の王子ホルスの大冒険』を初監督。主な監督作品に『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』(以上テレビシリーズ)『セロ弾きのゴーシュ』『じゃりン子チエ』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョとなりの山田くん』などがある。1991年『おもひでぽろぽろ』で芸術選奨文部大臣賞、1998年紫綬褒章などを受ける
大塚康生[オオツカヤスオ]
1931年、島根県生まれ。アニメーター。1957年、東映動画(現・東映アニメーション)に入社し日本初の本格的長編アニメーション『白蛇伝』に参加。その後『わんぱく王子の大蛇退治』などを経て、1968年『太陽の王子ホルスの大冒険』で初めて作画監督を務める。主な作画監督作品に『ムーミン』『侍ジャイアンツ』『ルパン三世』『未来少年コナン』(以上テレビシリーズ)『パンダコパンダ』『ルパン三世カリオストロの城』『じゃりン子チエ』など多数。1991年から9年間にわたって代々木アニメーション学院アニメーター科の講師として教壇にたつ。現在もテレコム・アニメーションフィルムのアニメ塾などを通じ、後進の指導にあたっている
大久保・トーマス邦子[オオクボトーマスクニコ]
1955年、東京生まれ。1978年、慶応大学仏文科卒業。その後国立国語研究所日本語教育センターをへて筑波大学大学院にて応用言語学を専攻、1980年渡米。1981年、映画監督のセオドア・トーマスと結婚。以来ロサンゼルスを中心に映画、テレビ、コマーシャル、大型フォーマット映画などの制作に携わる
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