出版社内容情報
日本語版への序文
謝辞
プロローグ 教えることの再発見の必要性
1章 教育の課題とは何か
2章 教えることを学習から自由にする
3章 教えることの再発見
4章 無知な教師に惑わされないで
5章 不可能なことを求める――不和としての教授
エピローグ 教育に教えることを取り戻す
訳者解説(上野正道)
ガート ビースタ[ガート ビースタ]
著・文・その他
上野 正道[ウエノ マサミチ]
監修
目次
プロローグ 教えることの再発見の必要性
1章 教育の課題とは何か
2章 教えることを学習から自由にする
3章 教えることの再発見
4章 無知な教師に惑わされないで
5章 不可能なことを求める―不和としての教授
エピローグ 教育に教えることを取り戻す
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
saiikitogohu
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「私たちが人間として学習することができる生命体なのではなく---なぜなら、学習と言うのは私たちが動物や人工知能システムとも共有するものなので---、語りかけられ、話しかけられる存在であり、教えられ、教えることを受容することができる存在だと言うことである。…私たちは私たちの外部のものを絶えず理解しようとする、単なる意味形成の生命体ではなく、おそらく人間存在の最も驚くべきことというのは、事柄が私たちに到来することができることである…私たちが問題となり、世界の中に「呼び出される」のは…これらの出来事において」22021/04/11
有智 麻耶
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本書の目的は、「統制としての教授と自由としての学習を超えた、第三の選択肢を探し求める」(p.150-1)にある。日本においても、戦後教育学の二元論的なパラダイムに乗った議論が未だになされている現状を踏まえれば、「教える」(teaching)の積極的な意義を強調することには十分な価値があると言えるだろう。1章から実存哲学を土台にした議論が展開されるので、前訳書『よい教育とはなにか: 倫理・政治・民主主義』(2010=2016)よりも取っつきにくいとは思うが、教育哲学を専門としない人たちにも読んでほしい。2018/09/07