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内容説明
市場原理と自己規律化が支配する21世紀に人々の心をとらえ始めた「遅れ」の感覚。未開の地フィジー、逡巡するハムレット、「人間、失格」の太宰治、未来を待つフリーターたちの「遅れ」との格闘に、ポスト近代に生きる意味を探る。
目次
序章 ポスト近代の「遅れ」
1章 遅れか先取りか
2章 二つの模倣
3章 作家と青年将校
4章 食人の毒抜き
5章 シェイクスピアの贈り物
6章 遅れから希望へ
7章 フリーターは待つ
8章 贈与と商品
著者等紹介
春日直樹[カスガナオキ]
1953年東京都に生れる。1978年東京大学農学部卒業。1981年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程中退。1986年大阪大学人間科学部助手。1988年奈良大学社会学部助教授。大阪大学大学院人間科学研究科教授。著書に、『太平洋のラスプーチン―ヴィチ・カンバニ運動の歴史人類学』(2001、世界思想社、サントリー学芸賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
翔亀
38
コロナ後の世界を語る論者で、思わぬ視点を提供していて気になったのが文化人類学。奥野克巳に続いて読んだ。こちらは学術論文集。現代を支配する市場原理と自己規律は、現実に<遅れ>た個人を、ひたすら追いつくように迫ってくる。こうした<遅れ>を巡った論考だ。もちろん追い付けと主張するわけではない。逆にスローでいいじゃないかと開き直るわけでもない。個人が抱え苦しむこの問題は解法を持たないことを覚悟で、混沌に向かい合おうとする。■著者の文化人類学のフィールドであるフィジーの土着運動、それにフリーターとシェイクスピアと↓2021/01/06
さといも
0
カールポランニーに於いて提示された市場経済の二つの運動は、現代に現れた新自由主義とフーコーの自己規律化の運動として再解釈されている。『遅れ』は過去の哲学者が語った自己から像への時間として、その後サイード的『未開』解釈と記録との位相差として展開される。この本は布団をかぶってパソコンにかじりついている若者達に向けられた啓蒙の書ではない。それでも、あとがきに記された【南方郵便機】から引用された『狐火』に、そして『あこがれ』に、教育者らしい方法二元論的であるにしても、優しい愁いを感じ取れることは出来る···かも。2016/10/29
メルセ・ひすい
0
8-47 赤152★5 4章食人の毒抜き!「自己からのズレ」感・著者はこの洞察を<遅れ>の問題と表現し直し、フィジーをフィールドとする自身の人類学者としての知見を注入し、19世紀の基督教宣教師の日誌の読解から太宰治まで、フリーター「問題」から(近年・植民地主義批判の文脈でいささか紋切り型の批評に囲い込まれがちであった)シェークスピアの『テンペスト』の鮮やかな再解釈まで、縦横無尽に筆をふるって<遅れ>の問題から目を背けようとする態度や、<遅れ>を根絶可能なものとする発想に対し批判を展開する。 2007/05/19