目次
第1章 原因は結果に先行するのか―ヒューム、カント、ラッセルを視野に(「原因がまず起こり、次に結果が起こる」という通念;堅固な原因先行論―ヒュームとカント ほか)
第2章 原因・結果とは何なのか―ダメット、マッキー、黒田亘、ハンソンへの批判的検討(原因・結果の問題性;私たちの因果了解 ほか)
第3章 因果関係から理由関係へ―理由論ならびにライプニッツとの対比(十分な理由とは何か―原因と理由;十分な理由―ライプニッツとの対比)
第4章 十分な理由の不在としての自由―カント、シェリングの問いかけ(自由の確保の試み―カント;自由の確立―シェリングを見据えて ほか)
第5章 必然性の世界における自由―ヘーゲルの射程(形式的な観点による様相;実在的な観点による様相 ほか)
著者等紹介
高山守[タカヤママモル]
1948年東京に生まれる。1973年東京大学文学部卒業。1975年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1977年同博士課程中退。2001年京都大学博士(文学)取得。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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月をみるもの
9
あとがきで自分でも書いてるけど、まず「科学」的知識の浅薄さがいかんともしがたい。後付けで見出す「理由」は、先行する原因ではない、、、というのはしょせん解釈論でしかなく、「科学というお話」の持つ予測・制御能力を説明できてない。東大哲学科でヘーゲルをやってた人らしいが、カントやヒュームへの理解がこの程度で、大丈夫だったんだろうか。。2021/02/14
eleking
1
因果関係とは実は理由関係なのであり、世界は十分な理由で満たされている。しかしながらその例外が人間の振る舞い。十分な理由の不在において自由が存する。またヘーゲルによれば「必然性」と「偶然性」は同一のあり方である。私たちの自由によって必然的であるこの世界が偶然的な世界にもなるのだ。「決められたこと」「思い通りにならないこと」の中における人間の自由な振る舞いに創造的な営みを見出すという勇気づけられる著作。2010/07/31