出版社内容情報
自ら狂言の太郎冠者を演じるほど古典演劇にのめり込んだキーン氏。新鮮な視点から、能・文楽・歌舞伎のどこが素晴らしいのかを説く。
私は驚いた。この国の古典演劇は、世界のどこにもない魅力に満ちている! 自ら謡(うたい)を習い、狂言の太郎冠者を演じるほど日本の舞台芸術にのめり込んだキーン氏。そこに比類なき「詩」があり「文学」があったのだ。世阿彌や近松門左衛門は世界に誇るべき存在──西洋演劇との比較も交えながら、能楽・文楽・歌舞伎の歴史と特質を語り、どこが素晴らしいか、面白いのかを説いた名解説。
内容説明
洋の東西を問わず、世阿彌をしのぐ詩人がこの世界にいただろうか。近松門左衛門は、シェイクスピアの影すら薄れるような大作家ではないか。また、歌舞伎ほど役者の個性と才能を引き立たせる舞台芸術もほかにはない。自ら謡を習い、狂言の太郎冠者を演じるまでになったキーン氏が、独自の視点から、古典芸能の歴史、特質、そして比類なき面白さを綴った名解説。
目次
第1部 能(能のよろこび;能と狂言の歴史 ほか)
第2部 文楽(文楽の味;文楽の歴史 ほか)
第3部 歌舞伎と日本の演劇(歌舞伎;日本の演劇 ほか)
私の日本文学逍遙 古典をめぐって(日本文学における劇的要素;連歌における滑稽の伝統 ほか)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
25
能は才能、演技における能力の輝き をも意味する(15頁)。 14Cに始まった能は15C半ばには 完全な形へと脱皮を遂げた(25頁)。 至上の花、妙花風は、能役者の演技 に込められた神秘(42頁)。 幽玄を備えた者こそが息長い 人気を保つことができると、 世阿彌は舞台の世界の経験から 革新していた(44頁)。 世阿彌は、物まねの大和猿楽と、 幽玄の近江猿楽では、 優美さこそ能の基本とした(59頁)。 能面こそは能の生命線(111頁)。 2014/05/30
ブルーツ・リー
3
お能とか、文楽とか、歌舞伎の演目だけではなくて、内情に近い事まで書かれている本。 今まで、伝統芸術に対して、特に好きとも嫌いとも思っていなかったのだけれど、内情が、ちょっと、酷い。 お弟子さんを育てる際に、キセルで叩く、殴る、蹴る、怒鳴る、外出に連れ出しては四六時中小言を聞かせ続ける、3時間しか眠らせない。 伝統文化自体は、守って行って欲しいと思うけれど、こういった人権を無視した教育方針には、到底納得できないし、許容もできない。個人的には、人権を無視するような伝統芸能は見たくないな、と思ってしまった。2020/03/25
mamaさん
0
思ったよりずっと読みやすい本です。2018/12/23