内容説明
1945年3月。東京大空襲の後、日本の敗色濃いにもかかわらず、上海に渡った青年がいた。堀田善衛、27歳。彼はこの国際都市で祖国の敗戦を経験する。国民党に徴用されて、その後1年ほどを上海で過ごした彼が見たものとは―。国民党の腐敗、勃興する共産党。迫り来る内戦、そして革命。本書は10年後に上海を再訪した著者が透徹した視座で上海と中国とを語る、紀行エッセイの歴史的名作である。
目次
上海にて(回想・特務機関;戦争と哲学;町の名の歴史;忘れることと忘れられないこと;再び忘れることと忘れられないことについて;「冒険家的楽園」;たとえばサッスーン卿という男について;町あるき;異民族交渉について;魯迅の刃か;暴動と流行歌;王孝和という労働者;自殺する文学者と殺される文学者;様々な日本人;死刑執行;腰巻き横町・裂け目横町;血の雨横町)
惨勝・解放・基本建設(惨勝とはなにか;解放ということ;基本建設・未来・歴史)
著者等紹介
堀田善衛[ホッタヨシエ]
1918~98年。富山県生まれ。慶應義塾大学仏文科卒業。広い視野と独自の文明批評に貫かれた多くの作品を発表。その作家活動は世界的に高く評価された。51年『広場の孤独 漢奸』で芥川賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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まーくん
85
1957年秋、堀田善衛は文学者訪中団の一人として招かれ、上海を再訪する。敗戦間近な45年3月、彼は上海へ渡り、戦後も国民党宣伝部に留用、46年末まで青春の一時期を過ごした。内戦を経て共産党統治下に入り既に8年、”ガラーンとした”上海の街を歩き回り、かつての日本軍そして国民党支配下の魔都の面影ー”乞食、淫売、浮浪者…外国人、外国兵”など、この都会の属性が消えた街を目にする。たまたま出会った旧知の看護婦が、彼に問われ答える「人民起来了」と。混乱の日々が過ぎ、飢餓と殺戮が去った街に希望を見るのだが…。2020/06/18
みねたか@
31
終戦後10年,再び上海の地を訪れた著者。様々な社会悪にまみれ万事混沌とした異臭を放つ魔界上海は,清潔で元気な子供の姿が目立つ街に変わっていた。その変ぼうに戸惑いながら,終戦前後の記憶に向き合い,改めて中国との関係を考える。言葉そのものと行間から滲みだす時代を生きた者としての、若い世代と歴史に対する強い責任感。深い思索に裏打ちされた言葉は今もなお全く古びない。しかし,古びない一因は私がそのような歴史に向き合ってこなかったということなのだろう。2019/11/19
風に吹かれて
23
1957年に上海を再び訪ずれた著者は、1945-1946年に上海に滞在していたときに見聞きしたことを踏まえて上海と中国のことを語る。アメリカ企業が接収した工場で児童を機械のそばで寝泊まりさせて働かせていたことや、国民から搾取する中国国民党、粛々と農地解放に取り組む中国共産党など、変革期の中国を語る。知っているようで知らない中国の姿が浮かんでくる。行間から現在の中国が見えてくるような気さえする。 →2022/09/05
Kazuo
20
宮崎駿が最も尊敬するという筆者は、第二次大戦の敗戦濃厚時にあえて上海に渡っている。上海で敗戦を迎え、その後一年間、敗戦国民として国民党に徴用された。彼は敗戦までの日本人の振舞い、敗戦後の中国人と日本人の姿を経験した。中国人の多くの友人を持った彼は、自らの運命を外に置き、天皇が敗戦放送で日本への協力者について何を語るのか緊張した。放送後、彼は天皇に対し「何とゆう奴だ、何とゆう挨拶だ(中略)という怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた」と感想を残す。これが真っ当な人間というものではないだろうか。2021/01/23
tsu55
19
戦時中、堀田は上海の町で日本兵が花嫁姿の中国人女性の胸と下腹部をまさぐっているという場面に出くわした。見咎めた堀田青年はその兵隊につっかかり、そのあげく、殴り倒されてしまう。そのことが「戦時中の、時局向きのことを自ら遮断した、いわば芸術至上主義青年であった私の、一つの枠がそこで破れた」と語っている。ここが堀田文学の出発点なのだろうか。 それにしても堀田は半戒厳令状態の上海の町をよく歩き、そして現地の人と触れ合っている。その姿は掘田自身が『方丈記私記』で描き出した鴨長明とどこか重なって見える。2019/08/04