出版社内容情報
「明治」は10回も元号候補になっていた――。文豪森鴎外(1862-1922年)が、最晩年に宮内省図書頭森林太郎として執筆した本書をひもとけば、「大化」にはじまり「大正」までの240を超える元号が列挙され、その典拠から不採用になった候補に至るまで、日本の元号が一望できる。繰り返し挙がる人気候補は何か、どんな理由で改元されるのかなど、知的好奇心を存分に満たしてくれる一冊!(原本:岩波書店、1953年)
「明治」は10回も元号候補になっていた――。「大化」にはじまり「大正」に至るまでおよそ1300年、240を超える元号をすべて網羅しています。『書経』や『文選』などの出典や改元の理由はもとより、候補に挙がった元号も出典とともに示した本書は、まさに日本の元号が一望できる、元号の辞典といえるものです。
世にも稀なこの一冊を執筆した人物こそ、文豪・森鴎外(1862-1922年)でした。森鴎外、本名森林太郎は、陸軍軍医の最高位にあたる陸軍軍医総監、陸軍省医務局長を辞したのち、1917年に帝室博物館総長兼宮内省図書頭として再び官職につきました。歴代天皇の諡号(おくりな)の出典を考証した『帝諡考』(1921年)を刊行したあと、文字通り最後の命を燃やしながら取り組んだ仕事が本書(原題『元号考』、文庫化にあたって改題)です。実に病没する数日前まで手を入れ続けたものの未完に終わりますが、晩年に歴史小説さらに史伝に転じた鴎外の考証学的執念もうかがえます。
本書をひもとけば「明治」同様、「大正」も採用までに3回、候補になっていることがわかります。また16世紀に初めて候補になった「明治」に対し、江戸時代の元号「天明」や「天保」は古代から繰り返し推挙されていることもうかがえます。人気の元号候補はなにか、それはどの典籍からの引用なのか。あるいは時代によって典拠の流行りすたりがあるのか。即位以外に大災害や飢饉、疫病などでも改元されますが、いつどんな理由で改元されたのか……。『天皇の影法師』(1983年)で本書に光を当てた猪瀬直樹氏による解説とあわせて、元号をめぐる知的好奇心を存分に満たしてくれる一冊です!
内容説明
今や日本独自の紀年法となった元号。文豪鴎外が晩年に宮内省図書頭森林太郎として執念を燃やした本書(原題『元号考』)をひもとけば、元号の出典から改元理由、不採用の候補に至るまで一三〇〇年分の元号が一望できる。「明治」は室町時代、「平成」は江戸時代にすでに候補になっていたなど、元号の奥深さを存分に堪能できる一冊!
目次
大化―朱鳥(六四五‐六八六年)
大宝―延暦(七〇一‐八〇六年)
大同―昌泰(八〇六‐九〇一年)
延喜―長保(九〇一‐一〇〇四年)
寛弘―康和(一〇〇四‐一一〇四年)
長治―正治(一一〇四‐一二〇一年)
建仁―正安(一二〇一‐一三〇二年)
乾元―応永(一三〇二‐一四二八年)
正長―明応(一四二八‐一五〇一年)
文亀―慶長(一五〇一‐一六一五年)
元和―元禄(一六一五‐一七〇四年)
宝永―寛政(一七〇四‐一八〇一年)
享和―大正(一八〇一‐一九二六年)
著者等紹介
森鴎外[モリオウガイ]
1862‐1922年。小説家、評論家、翻訳家。本名は森林太郎。陸軍軍医として最高位を極める一方で、旺盛な文筆活動を展開し、晩年は歴史小説、さらに史伝に転じた。1917年から没するまで帝室博物館総長兼宮内省図書頭を務め、歴代天皇の諡号(おくりな)の出典を考証した『帝謚考』(1921年)を刊行。主な著作に『舞姫』(1890年)、『高瀬舟』(1916年)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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