講談社学術文庫<br> ベルギー大使の見た戦前日本―バッソンピエール回想録

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講談社学術文庫
ベルギー大使の見た戦前日本―バッソンピエール回想録

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  • サイズ 文庫判/ページ数 336p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062923804
  • NDC分類 291
  • Cコード C0121

出版社内容情報

関東大震災、即位の大礼、満洲事変、相次ぐテロ……。「日出ずる国」に使いすること18年、外交官の鋭い眼がとらえた戦前日本の姿。本書はLe Baron de Bassompierre, Dix-huis ans d'Ambassade au Japon, Collection Armentor Libris, Bruxelles, 1945の翻訳です。
ことしは日本とベルギーが国交を結んでから150年にあたります。その間、さまざまなことがありましたが、初代大使(公使から昇格)のバッソンピエールが在任した18年間(1921?1939/大正10年?昭和14年)は、日本近代史上きわめて重大な時期にあたっています。それは、いわば日本の運命を決する致命的な諸契機が、歴史のページにつぎつぎに刻みこまれていった時代でした。着任早々に時の首相原敬が暗殺され、大正天皇の病気で皇太子裕仁が摂政の任につきます。バッソンピエールは裕仁に信任状を捧呈した最初の外交使節となりました。
ワシントン、ロンドン両条約における軍縮問題は英米への不満を鬱積させていきます。やがて満洲事変と国際連盟脱退、相次ぐ要人の暗殺、五・一五事件と二・二六事件……。それらをバッソンピエールはつぶさに観察していましたが、その日本人と国際情勢の分析にはきわめて興味深いものがあります。
一方で昭和天皇の即位の大礼や、外交団の東京や湘南、軽井沢や日光での社交など戦前の上流階級の暮らしぶりも描かれます。バッソンピエールは在日外交団の首席として知られ、新聞にもよく登場していました。
そしてなにより、1923(大正12)年の9月1日に遭遇した関東大震災の体験談はきわめて貴重なものです。
本書は外国人のみた戦前日本の記録として一流のものであり、文庫として多くの読者に読まれるべきものと信じます。

 プロローグ
第1章 航海、東京到着(1921年)
第2章 最初の日本滞在(1921?1923年)
第3章 9月1日の大震災(1923?1924年)
第4章 最初の休暇と天皇の崩御(1925?1927年)
第5章 即位式と二度目の休暇(1928?1930年)
第6章 満洲問題と三度目の休暇(1931?1933年)
第7章 ベルギー王室の不幸と日本の生活(1933?1936年)
第8章 日本におけるスポーツ
第9章 四度目の休暇と最後の日本滞在(1936?1939年)
 エピローグ
 付録 天皇の即位式


アルベール・ド・バッソンピエール[アルベール・ド バッソンピエール]
著・文・その他

磯見 辰典[イソミ タツノリ]
翻訳

内容説明

欧州随一の親日国の大使として駐在すること十八年、バッソンピエールは日本近代史の転換点に身を置いた。関東大震災、大正の終焉と昭和天皇即位の大礼、満洲事変、相次ぐ要人へのテロ…。練達の外交官の目に極東の一帝国とその指導層はどう映じたのか。東京、軽井沢、日光で展開される古き良き社交に戦争の気配が忍び寄る。「戦前」を知る比類なき証言。

目次

第1章 航海、東京到着(一九二一年)
第2章 最初の日本滞在(一九二一~一九二三年)
第3章 九月一日の大震災(一九二三~一九二四年)
第4章 最初の休暇と天皇の崩御(一九二五~一九二七年)
第5章 即位式と二度目の休暇(一九二八~一九三〇年)
第6章 満洲問題と三度目の休暇(一九三一~一九三三年)
第7章 ベルギー王室の不幸と日本の生活(一九三三~一九三六年)
第8章 日本におけるスポーツ
第9章 四度目の休暇と最後の日本滞在(一九三六~一九三九年)

著者等紹介

バッソンピエール,アルベール・ド[バッソンピエール,アルベールド] [Bassompierre,Count Albert de]
1873‐1956。ベルギーの外交官。1920年に日本公使に任命され、翌年大使昇格。18年にわたりその任にあり、在日外交団首席を務める

磯見辰典[イソミタツノリ]
1928年生まれ。上智大学文学部卒。同大大学院西洋文化研究科修士課程修了。上智大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ホークス

47
大正10年〜昭和14年の駐日ベルギー大使の滞在記。妻と4人の子、家庭教師の女性、神父の8名で来日。文章は上品で少し堅め。皇室、政治家、実業家、他の外交官との交流に忙しく、興味深い話が多い。中でも関東大震災については、体験を含め生々しく語っている。逗子の家が半壊し、津波にも襲われる。横浜と横須賀の火災は欧米人にも多くの死者を出し、徒歩で逗子まで逃げた人もいた。本書の後半は、大戦に向かって様々な出来事が続く。著者はかなり公正な人物だが、時代相応の偏見もある。ただ日本を見つめる視線には確かな見識を感じる。2022/02/16

読書ニスタ

38
1921年から1939年と、太平洋戦争前夜の日本の雰囲気を語る一級の資料であることに間違いなく、また、日本に好意的である著者の考え方に、日本人として、日本人の心情として、長らく、好意的に読まれ続けただろうと思う。だがいかに好意的なベルギーとの関係があっても、日本はドイツと組み、ドイツはベルギーを支配したのだ。著者は関東大震災を前に、死を考える有意義な機会であったと言える胆力の持ち主だ。仮に嘘で好意があると言うのも、簡単なことだろう。明治維新は王政復古であり、王家同士の騙し合いが、正体である。民意はない。2019/10/13

せいたろう

9
政治的論評を控えた戦前の日本のベルギー大使の回想録。皇室や諸外国公使らとの交流。関東大震災に被災。逗子では規模はわからないが津波にも遭遇。日本贔屓の親日家。2020/09/04

NY

7
外交が貴族、あるいは特権階級のほぼ独占だった古き良き時代。激動の時代を目撃したはずの大使の記録は読者の予想に反して非常に「おっとり」している。しかし、大正末から昭和戦前は、消費文化や外国との交流が活発化した時期でもあり、大使が伝える「ふくよかで友好的な」雰囲気は、上流階級を中心に確かに存在したのだろう。 大使の記録は総じてシンプル過ぎて深みには欠けるが、身をもって体験した関東大震災に関する記述はとても臨場感があり引き込まれる。その他、国鉄の食堂車のメニューが(間違いだらけの)フランス語で書かれていたことや2018/03/24

くらーく

4
ベルギーは小国だと思っていたけど、一人当たりの国民総生産で見ると大国だったのだね。まあ、今でも日本よりは上位だけど。かの国のバッソンピエール大使が、大正から昭和(戦前)までの記録を通して、当時の日本状況を知る。 印象に残るのは、関東大震災と皇室を含む上流階級との交流かな。外交のためにも皇室は必要なのかなあ、と思うわ。ある意味、日本の象徴なんだね。 それと、満州事変や韓国併合の事も書いてあるけど、至って穏健な雰囲気が漂う。まあ、当時、直接かかわらない人はそんなもんなのかもなあ。2019/07/13

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