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講談社学術文庫
奇跡を考える―科学と宗教

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  • サイズ 文庫判/ページ数 186p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062922692
  • NDC分類 190.4
  • Cコード C0140

出版社内容情報

科学はいかに神の代替物になったか? 古代ギリシャからルネサンス、近代まで連綿と続く科学思想が奇跡をどう定義したか問い直す試み「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なる。奇跡は日常的に存在する、と著者は考える。
一方、科学という立場からは、奇跡を認めないように思える。これは科学そのものが一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっていることが理由である。

奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理とことばの違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる。

そのうえで、科学思想すら一種の宗教であり、人間を超える存在を「神」と呼ぶか「科学」と呼ぶかの違いしかないことを、著者は証明する。

唯物史観の限界を超える思想を、改めて構築する試み。

村上 陽一郎[ムラカミ ヨウイチロウ]
著・文・その他

内容説明

「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なり、奇跡は常識を外れない。一方、科学という立場が奇跡を認めないのは、科学が一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっているからではないか―奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理と言葉の違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる試み。

目次

第1章 奇跡と宗教(古代的な文脈;ルネサンスの文脈;奇跡を認めない宗教的立場)
第2章 神の言葉・人間の言葉(ガリレオ事件;ガリレオ裁判の発端;一七世紀初頭の状況;自然の言葉と神の言葉;神の書いた二つの書物 ほか)

著者等紹介

村上陽一郎[ムラカミヨウイチロウ]
1936年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史科学哲学分科)卒。東京大学教授、国際基督教大学教授などを経て、東京大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Kikuyo

31
神の声を聞くという「奇跡」もまた、我々の通常の能力の外にあるだけのことなのかもしれない。都会で暮らすうちに鈍磨されてしまう感覚。「人間が常識と日常に慣れ、人間の言葉と自然の言葉の範囲のみで生きている状態が、一瞬で破れるようなことであろう」 奇跡をただ字義通り受け取ってしまう人には興味のない内容だと思いますが、言語の限界によって伝えることの難しい世界、奇跡を言語化された本書はとても面白かった。さて、感覚を磨くには?2017/08/03

ヒダン

14
古い時代から新しい時代へと歴史を顧みながら宗教、科学、奇跡を考察する。魔術も奇跡も常識を越える出来事のことを言うが、その中で神の力により起こった宗教的背景を持つものを奇跡という。長いルネサンスの後、初期状態及び自然法則を定めた超越者として神を定義する理神論が現れて神は理性(=科学)に従属する立場となった。言葉には神の言葉、自然の言葉、人間の言葉の三種類の言葉がある。奇跡があるとすれば、人間が常識と日常に慣れ、「人間の言葉」(と「自然の言葉」)の範囲のみで生きている状態が、一瞬で破れるような出来事だろう。2016/06/07

SGM

7
★☆☆なんか面白いけど今ひとつなんだなぁ。内容が悪いんじゃなくて構成というか書き方が悪いように思える。要諦(なにが言いたいのか)がよくわかんない。なにが言いたいのか不明瞭なので読んでいてもふわふわしてしまう。2018/04/29

Ai Watanabe

4
短いけどすさまじく面白い。2016/06/20

ももこ

2
宗教と科学。対立するものとして捉えられがちだが、それらが相反するような定義になったのは17世紀以降のことである。ガリレオは数学を始めとする自然界のリテラシーもまた神の言葉であるとし、神の存在が揺るぎないものであるとしていた。そうした世界では人間は自然の言葉を聞くことができた。人智を超えた出来事(奇跡)もありうる事象として捉えられてきた。自然の声を聞くことが出来なくなってしまった今、数多の天災がこの世を覆い尽くそうとしている。2021/05/23

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