出版社内容情報
科学はいかに神の代替物になったか? 古代ギリシャからルネサンス、近代まで連綿と続く科学思想が奇跡をどう定義したか問い直す試み「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なる。奇跡は日常的に存在する、と著者は考える。
一方、科学という立場からは、奇跡を認めないように思える。これは科学そのものが一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっていることが理由である。
奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理とことばの違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる。
そのうえで、科学思想すら一種の宗教であり、人間を超える存在を「神」と呼ぶか「科学」と呼ぶかの違いしかないことを、著者は証明する。
唯物史観の限界を超える思想を、改めて構築する試み。
村上 陽一郎[ムラカミ ヨウイチロウ]
著・文・その他
内容説明
「奇跡」とは、宗教的な現象である。魔術や超常現象とは異なり、奇跡は常識を外れない。一方、科学という立場が奇跡を認めないのは、科学が一般的な常識から遠く離れた、特殊な体系になっているからではないか―奇跡の捉え方をヨーロッパの知識の歴史にたどり、また宗教と科学それぞれの論理と言葉の違いを明らかにし、奇跡の本質にせまる試み。
目次
第1章 奇跡と宗教(古代的な文脈;ルネサンスの文脈;奇跡を認めない宗教的立場)
第2章 神の言葉・人間の言葉(ガリレオ事件;ガリレオ裁判の発端;一七世紀初頭の状況;自然の言葉と神の言葉;神の書いた二つの書物 ほか)
著者等紹介
村上陽一郎[ムラカミヨウイチロウ]
1936年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史科学哲学分科)卒。東京大学教授、国際基督教大学教授などを経て、東京大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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