出版社内容情報
内田 樹[ウチダ タツル]
著・文・その他
内容説明
なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか?「格差」の正体とは何か?目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。
目次
第1章 学びからの逃走(新しいタイプの日本人の出現;勉強を嫌悪する日本の子ども ほか)
第2章 リスク社会の弱者たち(パイプラインの亀裂;階層ごとにリスクの濃淡がある ほか)
第3章 労働からの逃走(自己決定の詐術;不条理に気づかない ほか)
第4章 質疑応答(アメリカン・モデルの終焉;子どもの成長を待てない親 ほか)
著者等紹介
内田樹[ウチダタツル]
1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程を中退後、同大学人文学部助手などを経て、神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
553
日本の子どもたちのほとんどは、学校で学ぶことを「権利」ではなく、「義務」だと捉えているという。その権利を持っていない子どもたちが世界にはたくさんいるのだが。義務であるから対価を要求し、それが私語や授業を聞かないという形で彼らが受け取る対価であると内田樹は分析する。また、リスク社会にあって、若者たちはそこからドロップアウトしてゆく(彼らにすれば「わざとした」と意識しているのだが)。また学業成績の悪いことは「価値」であるとの転倒もすでに起こっているようだ。内田の分析が的確なだけに読者は深く憂慮することになる。2018/11/02
ミカママ
147
面白かった。昔より学力の落ちている大学生たち。今や日本は大学全入なのね。大学の方で魅力をアピールして、入学していただく時代ですもんね。「労働主体」ではなく「消費主体」で就学前に既に自己を確立している子どもたち。高学歴な親や、上層階級の家庭が子どもに与えているものは「能力」だけではなく「努力する動機付け(空気感)」。わかっていたことだけど、活字で読まされるとインパクト強い。日本では学生に求められるものが画一的すぎるような。ドイツやアメリカみたいに、あっちがダメならこっちで能力伸ばす的な教育も見直すべきでは?2015/04/09
サンダーバード@怪しいグルメ探検隊・隊鳥
109
2007年の本だからいわゆる「ゆとり教育」が問題になっていたころか?そんな制度的なことよりも、もっと根本的な問題だと作者は指摘する。子供たちの「何のために勉強するのか?」「この知識は何の役に立つのか?」そんな質問は愚問であり、回答する必要はないと作者は言う。本来勉強とはそんなものではないはずだが、学ぶこと自体に「価値の等価交換」を求める若者。その一端は最初の社会参加が「奉仕」(お手伝い)であったか、「消費」(買い物)であったかに起因するという。やや極端な論理でもあるが、かなりの部分で納得できる。★★★★2013/09/05
あすなろ
94
学びと労働からの逃走が始まっている。そして試験平均点が年に一点ずつ低下し、その年のみの偏差値判断で終わってしまっている。そんな20年超の状況を産んだ要因は何か?強い早期の社会的承認、即ち経済的価値衡量ではないかと著者は言う。産まれてすぐからの消費行動の全能感に支配され、その連鎖で、速やかな教育の回収価値軸等が叫ばれる。そんな簡潔なことは教育も社会もないという。その通りである。諸々考えながら興味深く読了。確かにいろいろな議論を呼ぶだろう本であり、そして提議ある一冊。2019/09/17
みゃーこ
93
共感するところゼロ。この人と話すことがもしあったら喧嘩やな…。ないからいいけど。読むのだるかった。2013/02/26