岩波文庫<br> 聖なるもの

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岩波文庫
聖なるもの

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  • サイズ 文庫判/ページ数 470p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003381113
  • NDC分類 161.1
  • Cコード C0116

出版社内容情報

オットーはドイツの代表的プロテスタント神学者.宗教における非合理的要素と合理的要素の関係を明らかにした本書は,宗教学の名著として今日も広く読まれている.著者はその哲学をまず神観念を表わす“聖なるもの”という言葉の分析から始める.カント主義の立場から発し,本書でそれを超える境域に進んだ.一九一七年.

内容説明

合理的に発達した宗教の核心には、非合理的なもの―感情や予覚による圧倒的な「聖なるもの」の経験が存在する。オットー(1869‐1937)はその本質を「ヌミノーゼ」と名づけ、現象学的・宗教哲学的考察を展開する。キリスト教神学のみならず哲学・比較宗教学にも多大な影響を与えた、20世紀を代表する宗教学の基礎的名著。新訳。

目次

合理と非合理
ヌミノーゼ
ヌーメン的対象に引き起こされる感情の自己感情における反射としての「被造者感情」(ヌミノーゼの諸要因その一)
戦慄すべき神秘(ヌミノーゼの諸要因その二)
ヌーメン的賛歌(ヌミノーゼの諸要因その三)
魅するもの(ヌミノーゼの諸要因その四)
ウンゲホイアー(ヌミノーゼの諸要因その五)
類比事例
ヌーメン的価値としての聖なるもの、高貴なもの(ヌミノーゼの諸要因その六)
非合理的とはどういうことか
ヌミノーゼの表現手段
旧約聖書におけるヌミノーゼ
新約聖書におけるヌミノーゼ
ルターんにおけるヌミノーゼ
発展
アプリオリな範疇としての聖なるもの―第一部
アプリオリな範疇の歴史における現われ
「粗野なもの」の諸要因
アプリオリな範疇としての聖なるもの―第二部
顕外化した聖なるもの
原始キリスト教における予覚
今日のキリスト教における予覚
宗教的アプリオリと歴史

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

syaori

53
作者は「聖なる」という言葉から倫理的要因を引いた部分、「戦慄すべき」「荘厳な」ものなどの「語りえぬ」非合理的な部分を「ヌミノーゼ」と名づけます。作者の狙いはこれを考察し、諸宗教に対するキリスト教の卓越性を証明することなのですが、それよりもヌミノーゼの性質や宗教の合理的要素と非合理的要素の関係を語る部分が印象に残りました。ヌミノーゼが、語りえぬものが宗教の教義における「合理的なものの深みを確保」しているのだと作者は言う。それが心に残るのは、この神秘が美術や音楽や、様々な芸術に通じているからなのだと思います。2019/12/26

烟々羅

28
深夜、こんな呟きをした 「ウィスキーを飲み、エロチックな動画を流しながら、読みたくなるのは個人的な告白に近い宗教書(この訳では初読)でも、ヌミノーゼてこういう(享楽的な、理性を傍らに置き感性に身を任せる)ことだよね」 河合隼雄氏の読書録に紹介され華園訳のほうを読みこちらも購入したのは2011年7月。それからか2年ちかく、封も切らないで机の上に置いていた。深夜の娯楽TV のような読み方をする日がくるとは思ってもなかったが、頭で読むべき内容でなく身体感覚としてこの二年で根付いたのだろう。それは、きっと良いこと2013/04/08

Uncle.Tom

20
再読・僕らが一般的に抱く宗教というものに対するイメージは、合理的精神に基づく理性によって捉えられたものです。しかし、本書で述べられているように、宗教の本質とはそのような理性によって捉えられるものではありません。それは何か概念では捉えきれないものでありつつ、宗教的体験をした者にとってはかなりありありと確信を持って感じられるものです。これをオットーはヌミノーゼと呼び、宗教の核心をなすものと述べています。生のリアリティを取り戻すための契機として、宗教に対する見方を改めていくべきだと僕は本書を通して確信しました!2020/01/10

きゃんたか

19
聖なるものは本来的には道徳と関わりは無い。それは教えられず、ただ刺戟され、覚醒されるだけである。汚れの感情とは反省により生じるものではなく、むしろ全く異なる感情と共に生じる。罪悪が何であるか、自然人も道徳的な人も理解しない。新約の神は旧約の神よりも聖なる度合いが多く、神と人との距離は絶対的となり、神に対する人間の無価値は高められる。「にもかかわらず」近づき得るのは、「愛の神」の感傷的楽観主義ではなく、理解を越えた恵みだからである。この近さと遠さとの対立こそが、キリスト教的根本感情の調和を形づくるのである。2016/07/07

Uncle.Tom

17
宗教は本質的にはヌミノーゼによって成り立っています。これは理性で捉えることができるものでなく、直接的に、またかなりの確信を持って実感されるものです。だからこそ、宗教を理性でもって否定することは極めてナンセンスなことですね。だって同じ土俵に立てていないんですから。もっと言えば、否定すれば否定するほど、理性的な見解からは遠ざかっていきます。だって、理解の範疇を超えているものを無根拠に否定しているだけですからね。この“ヌミノーゼ”の存在が否定できない以上、宗教には人にとって欠かせない意義があるというべきでしょう2019/12/04

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