目次
愚行としての映画批評
第1章 映画はエスニシティの創造物である
第2章 東アジアでなにか新しいことが生じている
第3章 映画は歴史をどれほど超えられるか
第4章 日本映画の考古学を開始する
第5章 わたしは試写会室に飽きてしまった
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
星落秋風五丈原
23
1976年に「惑星ソラリス」について書いて以来16年映画時評を書き続けた 四方田犬彦氏。彼の1986年〜1991年に書いた文章や対談をまとめた作品。 見覚えのある映画をそれぞれ思い出して、なかなか前に進めなかったです。文芸・映画評論家と肩書きにあるからでしょうか、文章が 新聞や雑誌に出てくる映画評論家の文章とは違いました。久々に本と格闘したような思いでした。 1999/11/27
De PalmaX
1
80年代後半から90年代初頭にかけての時評だが、特に香港、台湾、中国といった東アジアから侯孝賢や陳凱歌、徐克のような新しいアジア映画の担い手が出現したことの興奮が伝わってくる。彼らの初期作やその他にも紹介されているヨーロッパ圏、ユーラシア圏の映画が観難い映画旧作市場は、とはいえハリウッド大作偏向なんだなと改めて感じた。2022/11/09