出版社内容情報
【目次】
1章 大統領の決断
2章 真珠湾攻撃の翌朝
3章 カウント・ゼロ
4章 原子爆弾投下
エピローグ
解説
【径書房のサイトより】
この小説は、日本人がこれまで読んだことがない「原爆小説」だ。
原爆を作った科学者・その妻・美貌の女性科学者・スパイ・実験中の被爆事故……。あらゆる要素が絡まって、私たちは、まるでエンターテイメント小説を読むようにして、この原爆小説を読むことになるだろう。
本書は、被爆者の側から描かれた日本の「原爆小説」とは異なる、加害者の側から描かれた「原爆小説」なのだ。
登場人物の多くは実在の科学者をモデルにしているが、本書はドキュメンタリーではない。ノーベル賞作家にして大衆小説家であるパール・バックは、原爆を作った人々を活き活きと描きだし、私たちは、いつの間にか、原爆を作った人々に感情移入しながら読み進めることになる。
自分がもし原爆を作る使命を課せられた科学者だったら、どうしていたのか──。この小説が突きつけてくるこの問いをくぐり抜けて始めて、私たちは原爆を世界に向けて語ることができるようになるのかもしれない。
内容説明
恋愛・苦悩・スパイ・夫婦の確執…原爆を作った人々の愛と葛藤を描いた問題小説。被爆国に生きる我々は、この小説をどう読むのか。
著者等紹介
バック,パール[バック,パール][Buck,Pearl S.]
1892~1973。米国のウェスト・バージニアで生まれるが、生後3ヶ月で両親の伝道先である中国大陸に渡り、その半生を過ごす。米国のランドルフ・メイコン女子大学を卒業後まもなく、中国で農業経済学を教えるロッシング・バック氏と結婚。長女キャロルを産むが、キャロルが重度の知的障害であったことから、結婚は遂に破綻に終わる。娘を米国の施設に預け、生涯面倒をみてもらうために必要な費用を自ら稼ぐ目的で執筆を始め、中国貧民の生活を描いた小説『大地』(1931年)を米国で発表。不朽の名作となる。小説は数年後に映画化され、1938年には、ノーベル文学賞を米国女性として初めて受賞。南京で教鞭をとっていたパール・バックは、日本軍による南京大虐殺(1937年)の直前に米国に帰国。以後ペンシルバニア州の郊外にある農場に永住して作家生活を続け、80以上の文学作品を発表する。執筆のかたわら、「東西文化の橋渡し」の役を果たすと共に、黒人、婦人、混血児など、当時「虐げられた人々」と呼ばれていた階層の代弁者として、社会改革運動に献身する。戦後、日本をはじめアジア諸国に溢れた米軍将兵と現地のアジア女性との間に生まれた「アメラジアン」(米亜)混血孤児たちを救済するため、私財を投じて「ウエルカム・ハウス」や「パールバック財団」を創設したのは、その有名な一例。1960年には、日本を舞台にした児童向け短編小説『THE BIG WAVE(大津波)』(邦題『つなみ』径書房刊)の日米合作映画のために来日。戦前の疎開先だった長崎雲仙地方でのロケに参加した
丸田浩[マルタヒロシ]
1972年、東京大学大学院薬学研究科で博士号を取得。翌年渡米して以来、ずっと海外で癌研究に従事。米国の最大医学研究所NIH、エール大学、および西独のマックス・プランク研究所などに勤務後、1988年に豪州にあるルードビッヒ国際癌研究所の中心(メルボルン支部)に制癌剤開発部長として転勤。2006年3月末に同支部を退職し、ドイツのハンブルグ大学付属病院に客員教授として勤務
小林政子[コバヤシマサコ]
1972年、明治学院大学英文科を中退し外務省に勤務。リスボン大学で2年間語学研修。主に本省では中近東アフリカ局、国連局原子力課など。在外ではブラジル、カナダに勤務。1998年に外務省を辞職し翻訳に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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