複数性のエコロジー―人間ならざるもの(ノン・ヒューマン)の環境哲学

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  • サイズ B6判/ページ数 307p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784753103355
  • NDC分類 519
  • Cコード C0010

出版社内容情報

モダニティの終焉からエコロジカルな時代へ



地震、原発問題、無差別殺人、自殺……現在、われわれが感じるこの「生きづらさ」とはなんなのか? 「エコロジー」概念を刷新し世界的な注目を集める思想家ティモシー・モートンは、現代人の生きる空間そのものが「うつの空間」と化しているという。都市空間の「荒廃」を問い続け、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示にもかかわるなど精力的な活動を続ける著者が、モートンと直接に対話しながら辿り着いた、自分への配慮と、ヒト・モノを含む他者との結びつきの環境哲学。……「人間が、人間だけで生きていることのできていた時代が終わろうとしている」。

※巻末には日本初公開となるティモシー・モートンのインタビューを収録。

序章

第1章 アンビエント・エコロジーへ

第2章 荒廃のエコロジー

第3章 「もの」のエコロジー

第4章 幕張ダークエコロジー

第5章 死んでゆく世界と一緒にいること

第6章 内的空間へ

終章

ティモシー・モートン・インタビュー2016

注解

謝辞

篠原 雅武[シノハラ マサタケ]
1975年生まれ。社会哲学、思想史専攻。1999年京都大学総合人間学部卒業。2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。2012年4月より、大阪大学大学院国際公共政策研究科特任准教授(2017年3月まで)。2015年4月より、京都大学人文科学研究所非常勤講師。2016年開催のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館制作委員。
著書:『公共空間の政治理論』(人文書院、2007年)
『空間のために』(以文社、2011年)
『全-生活論』(以文社、2012年)
『生きられたニュータウン――未来空間の哲学――』(青士社、2015年)
訳書:M・デランダ『新たな社会の哲学』(人文書院、2015年)

内容説明

「あなた」と「私」のエコロジー。現在、私たちが感じる「生きづらさ」とはいったいなんなのか?エコロジー思想を刷新し、世界的な注目を集める思想家ティモシー・モートンとの対話を続けるなかで辿り着いた、自分への配慮とヒトとモノを含む他なる存在との結びつきの哲学。

目次

序章
第1章 アンビエント・エコロジーへ
第2章 荒廃のエコロジー
第3章 「もの」のエコロジー
第4章 幕張ダークエコロジー
第5章 死んでゆく世界と一緒にいること
第6章 内的空間へ
終章
ティモシー・モートン・インタヴュー2016

著者等紹介

篠原雅武[シノハラマサタケ]
1975年生。社会哲学、思想史専攻。1999年京都大学総合人間学部卒業。2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。2012年4月より、大阪大学大学院国際公共政策研究科特任准教授(2017年3月まで)。2015年4月より、京都大学人文科学研究所非常勤講師。2016年開催のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館制作委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

はすのこ

7
何処か悲しげな…切ない日記の様だが、思想的な色もある、そういう本です。オススメです。特に千葉雅也が好きならば。2017/02/26

センケイ (線形)

6
ドキュメンタリー的な側面も僅かにありつつ、ベースは脱人間中心の理論にあり、いいバランスを楽しめる。オブジェクト指向存在論や、あるいはガタリとの位置関係なども適宜明確にされ、周辺の思想の流れも合わせて復習できる。境界の消去や、荒廃の受容を考えるのは聞くだにいかにも現代的で、必要とされる思想が展開されている感じがあっていろいろとつながる。人間のコンテキストを無視するわけではない点も、すでに人間が自然に密に関わっている以上、それがかえって客観的な見方を提供するだろう。2020/03/04

kentaro mori

4
人間中心主義的な「自然観」「エコロジー観」からの脱却。一方でそれは、人間がいない「自然観」でもない。⚫️モートンは、すでにこの世は不浄であり、荒んでいること、もはや後戻りできない水準に達していること、そしてこの不浄な世を私たちが生きてしまっていることをまずは認めてかかろうとする。モートンのエコロジー思想は、不浄さにおいて展開する。だからこそ、彼はみずからのエコロジーをダークエコロジーと名づける。2020/01/31

瀬希瑞 世季子

2
"(…)まずは自己への配慮であり、自分の身体において生じる感覚への配慮である。そして、感覚への配慮は、ただ「私」の身体において生じる感覚領域に限定されず、「私」の身体へと向かい、出会ってくる、様々な「私」ならざるもの(…)へと開かれている。ニヒリズムは、その高みへと向けて超克するという方法では、消えることなどない。むしろ逆に、思考のレベルを下げ、客体の領域へと降りていき、そこで「私」ならざるものを自らにおいて迎え入れつつ調子を合わせることにより、(…)効力を失うことになるだろう。" p.762023/08/20

Mealla0v0

1
EwNを読むための助走に再読。自然を、無垢なものとしてではなく、あるいは操作可能な対象としてではなく、「とりまくもの」として理解する。すると、ニュータウンや埋め立て地もまた、ある種の自然との関係において存在し得るのだと言える。それらの空間は人工的ではあるが、その空間が寂れ人間的な意味から放擲されると、そこには脱人間化が生じる。……とりまくものと言うと、周りを覆っているようなイメージだが、恐らくそれは違う。もっと斑な、孔の空いたようなイメージ。ゲリラ豪雨や都内に出没するアライグマ、それらは人新世の経験だ。2020/11/03

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