理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 254,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622071303
  • NDC分類 311.235
  • Cコード C1036

出版社内容情報

***

カントは「啓蒙とはなにか」という問いに答えて、それが、「未成年状態からの脱却」つまり他者に指導されることなしに自身の悟性を使用できる状態に到達することであると述べ、そのために必要なのは「理性の公的な使用の自由」であると説いた。

そして、フランス革命期においてもっとも有名になったパンフレット『第三身分とはなにか』でシエースは、「第三身分はなにを要求するのか」に「なにものかになること」ときっぱりと応答することになる。

本書は、18世紀後半に、また革命期に構想され、しかしさまざまな困難に遭遇した啓蒙と市民の形成にかかわる議論、コンドルセの教育論からシエースの社交に対する無関心を示唆する言説、さらにはピネルの狂人の社会化をめぐる論理などを、力強くしなやかに分析・批評してゆく。

世界のなかに散らばりながら、読書をとおしてみずからを啓蒙し、公衆の一部としての市民になる人間存在。その社会化や社交、コミュニケイションという具体的な場に理性をおくことで、それがもつ政治的性格を明らかにし、さらには、理性の使用が語られるさまを見ることによって、近代以降の世界に生きるわれわれ自身のありようにまでかかわる問題にふみこむ本書は、現代の学問水準を示すとともに、ひととひとの交流について示唆を与えてくれるだろう。

富永茂樹(とみなが・しげき)
1950年、滋賀県生まれ。京都大学人文科学研究所教授。知識社会学。著書『健康論序説』(河出書房新社、1977)『都市の憂鬱』(新曜社、1996)『ミュージアムと出会う』(淡交社、1998)他。編著『資料 権利の宣言―1789』(京都大学人文科学研究所、2001)『文化社会学への招待』(共編、世界思想社、2002)他。訳書 フュレ/オズーフ編『フランス革命事典』(共同監訳、みすず書房、1995)ゴーシェ『代表制の政治哲学』(共訳、みすず書房、2000)他。

内容説明

人間の声はもはや社会のなかで聞こえなくなったのか。18世紀後半における社交の衰退と革命期の議論の悪夢に、近代以降の世界に生きるわれわれの困難を読む。

目次

序章 啓蒙の困難―主体、社会化、コミュニケイション
第1章 バスティーユからビセートルへ―ひとはいかにして市民となるのか(自由の身体、自由の空間;解放(封印令状の廃止;ピネル神話の形成)
なにものかになること…、すべてを知ること…)
第2章 中間集団の声と沈黙―一七九一年春‐秋(不信と敵意(その萌芽;その成長;その完成)
国家主義的個人主義
失われた世界、実現しなかった社会
不信と敵意(その後))
第3章 会話と議論―一八世紀後半のフランスにおける社交の衰退(議論の悪夢;会話の楽しみ;類似と差異/連続と断絶)
終章 読む機械―近代的主体の行方について

著者等紹介

富永茂樹[トミナガシゲキ]
1950年、滋賀県生まれ。京都大学人文科学研究所教授、知識社会学
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。