内容説明
存在という出来事の限界で、有限な世界の終末で、ひとはまだ何を思考し、意味することができるのか。ハイデガーやデリダの問いを受け継ぐ哲学者が、バタイユ、ニーチェ、ランボーらとともに、西洋、エクリチュール、犠牲、崇高、ミメーシス、愛や共同体について繰り広げる戦慄的な思索。『無為の共同体』から『キリスト教の脱構築』へ向かうナンシーの、デリダ論を含むもう一つの主著、待望の完訳。
目次
終わる思考
外記
犠牲にしえないもの
実存の決断
崇高な捧げ物
物々の心臓
粉々の愛/輝く愛
省略的意味
笑い、現前
魂と身体のうちに真理を所有すること
神の進行性麻痺
著者等紹介
ナンシー,ジャン=リュック[ナンシー,ジャンリュック][Nancy,Jean‐Luc]
1940年生まれ。ストラスブール・マルク・ブロック大学名誉教授、現代フランスを代表する哲学者の一人。デリダやハイデガーの問題圏のもと、Ph.ラクー=ラバルトとともに西洋哲学の脱構築的読解を展開。ロマン主義やナチズムの批判をはじめ、文学・宗教・芸術の広範囲な分野で、「分有」概念を軸にした独自の共同体論を提示している
合田正人[ゴウダマサト]
1957年生まれ、一橋大学社会学部卒業、東京都立大学大学院博士課程中退、同大学人文学部助教授を経て、明治大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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哲学に固有の主張はつねにその正当化の基準を逃れたものを含み込むことによってのみ、その固有性を主張することができる。これが差延の思考である。また〈存在〉は、みずからに固有のもの(本質)が属さないことを集結させることによってのみ、その(逆説的な)固有性を生起させる。これが性起の思考である。ナンシーの思索はこの二つの前提がもたらす目眩のなかで展開される(目眩を押し隠すほど透徹したセンテンスの数々のなかで)。読者はその目眩のなかからいくつかの言葉(たとえば意味、心臓、肌)の豊かな使用を持ち帰ることができるだろう。2018/10/16
Ecriture
6
ずっと読みたかった一冊。他なるものが自己性を触発するその限りおいて、自己において存在する全てのものに関する思考。意味はその縁で、限界において、内記すると同時にその限りにおいて外記する。縁取ると同時にその線を抹消する。省略し、中心を逃れつつ楕円を描き、描きつつ消し、情熱と受難として「ある」。エクリチュール・崇高・愛・物・主体…全部同じ論調ではないかとも思うが、「限りある」思考によって俗な脱構築主義の尻拭いをしている。「笑い」論に関しては、そんなもん全然笑えねぇよという感じだった。2012/06/24