叢書・ウニベルシタス
哲学の余白〈上〉

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  • サイズ B6判/ページ数 368p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784588007712
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C1310

内容説明

デリダの脱構築の基本思想が明らかにされる重要なテキスト。序説とも言える「タンパン(鼓膜)」、エクリチュールの問題から脱構築を説明した「差延」、ヘーゲルやハイデガーの時間概念を論じた「ウーシアとグランメー」、ヘーゲルの記号論に関する「竪坑とピラミッド」、ルソーの言語論についての「ジュネーヴの言語学サークル」などを収め、厳密かつ生成的な「脱構築」の必要性を説く。

目次

タンパン
差延
ウーシアとグランメー―『存在と時間』の或る注記についての注記
竪坑とピラミッド―ヘーゲル記号学への序論
人間の目的=終わり
ジュネーヴの言語学サークル

著者等紹介

デリダ,ジャック[デリダ,ジャック][Derrida,Jacques]
1930年アルジェに生まれる。パリのエコール・ノルマル・シュペリウールで哲学を専攻。同校の哲学教授を経て、社会科学高等研究院教授をつとめた。ロゴス中心主義の脱構築を提唱し、「神の死」のあとに到来した今日の知的状況をこのうえなき冷徹な眼で分析する現代フランスの代表的な哲学者。2004年10月9日死去

高橋允昭[タカハシノブアキ]
1931年生まれ。早稲田大学大学院哲学専攻修士課程修了。現代フランス思想専攻。早稲田大学文学部教授。2000年3月死去

藤本一勇[フジモトカズイサ]
1966年生まれ。早稲田大学文学学術院助教授。20世紀フランス哲学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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syaori

63
デリダの思想のキーワードともなる『差延』、西洋哲学の時間概念を語る『ウーシアとグランメー』など五篇を収録。そこで作者が語るのは、古代ギリシアに端を発する西洋哲学・形而上学の「連鎖もしくは体系(システム)」と、それがどのように機能し哲学の世界を支配してきたかということ。それを示すことで彼は、世界の根源を探究してきたその世界自体が「全体ではなく”部分”であることを暴」き、さらにその「空間のなかでは聞かれ読まれるべきものとして与えられないもの」、余白を示してゆきます。とても刺激的なデリダの思考を追って下巻へ。2021/12/07

またの名

14
クソリプの貴公子が古代のプラトン、アリストテレスから20世紀のハイデガーやソシュールまでに送り付けまくった重要クソリプ論集。哲学書に何かしらツッコミさせたら右に出る者がない。サドマゾ遊戯で本当に意表を突かれた攻撃に晒されるのはNGなのと同じく、自己の外が決して自己の意表を突かないように「自己の自閉症の穴蔵の中」で外部の他者もどきと戯れる哲学の欺瞞を、乗り越えようとする。土俵を変えることなく脱構築しても土俵を変えると決断しても行き詰まる結末をすでに予測し、逆にバッドエンドしか見えないのに前進した勇気が怖い。2019/12/20

hitotoseno

11
冒頭の「タンパン」。確かにカッコいいイントロであり、文章を二段に分けて上に自論を、下にミシェル・レリスから引用した文章を配置する形式は新たなデリダを感じさせるが、内容はといえば実は行き詰まりを感じさせるものである。「tympan」というのは鼓膜とも太鼓(ティンパニ)とも訳せる語であり、デリダお得意の散種性をまとった語であるが、結局話されていることはといえば『声と現象』の変奏であり、「自分の声を聴く」哲学への批判、鼓膜をぶち壊し「タンパン」の多義性へと開かれよ、というだけである。2016/06/25

Bevel

4
エクリチュールにおいて、「本来性」とは関係ない仕方で、つまり余白的な仕方で、外部がある。ただし同時にこのエクリチュールとしての外のあり方は、いわゆる「現前の形而上学」のあり方と相関する。ここから、外部(=差異)は現前の形而上学に対して遅れるので、差延と呼ばれる。差延が概念ではないのは、現前の形而上学の種類に応じて、外の与えられ方が根本的に異なるからであり、類種関係というより、バリエーションにおいて捉えられるからだ。とまとめてみた。デリダはフランスの他の同時代の著者に比べて教育的だなと思った。2022/01/22

ミスター

3
ドゥルーズと違ってデリダは『声と現象』とマジで言っている事が変わらないから凄い。ここで行われているのハイデガーの存在論のエクリチュール論的な側面、記号論的な側面を強調し、人間主義・実存主義的な存在論を批判する試みである。ただし面白いのはデリダのばあい記号やエクリチュールと言った非人間的な虚構が人間的に振る舞う瞬間があることを説明しているところだろう。それこそ「われわれ」の問題であり、共同体の問題でもあるのだ。われわれはどのようにして共同体の構成員を構成するのか2019/03/06

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