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出版社内容情報
フィクションを聖書に対応する世俗の聖典として位置づけ,シェイクスピア,エリオットなど西洋古今の膨大な作品を引証し,その共時的な構造要素を析出する試み。
内容説明
ロマンス(フィクション)の共時的な構造要素を析出するN.フライの批評理論の展開。聖書をはじめダンテ、シェイクスピア、エリオットら西洋古今の膨大な作品を引証し表層・深層構造を大胆に分析。全体構造としてのロマンス・究極のロマンスが明らかにされる。
目次
第1章 人間の言葉と世界
第2章 ロマンスの文脈
第3章 われらが苦悩の処女―ロマンスのヒーローとヒロインたち
第4章 底なしの夢―下降の主題
第5章 Quis Hic Locus?(ここはどこなのか)―上昇の主題
第6章 神話の回復
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
34
23
ロマンスとはたとえばドン・キホーテやエマ・ボヴァリーの愛読書がそれで、近代の小説は基本的にロマンスのパロディとして形成されてきた。そのため典型的なロマンスは近代小説の成立以前の中世の作品ということになるが、ロマンスの構造的パターンはいたるところあらゆる時代に見出すことができる。たとえば現代ではハリウッド映画から日本の漫画まで。ロマンスの感性はごく身近ところにまで浸透しているが、プロットの基本パターンは古代ギリシアの昔から変わっていない。その保守性に壮大な(といっていいだろう)意義をフライは与えている。2019/01/26
たぬき
3
「究極のロマンスは高度に昇華されたエロスをモチーフとし、一度はアイデンティティを失った人間が、愛ゆえに本来の自己を回復する同一性探求の物語」(p.218)
しお
0
生世界と造物主・鏡像との間の移行・脱却の寓話の転位・パロディがロマンスを構成するが、それは純文学においてよりはむしろ耳を塞ぎ文字を追うために書かれた冒険小説にも見出される文学宇宙の要素である。当然著者は「耳を塞ぎ文字を追う」を善しとはしない。「デーテーファービュラ」と言われるように、我々自身が生きる(聖書の持ち物ではない)日常的の言語生活に内在する孤立、暴力、聖性等々を(ロマンスを)読書するに見よ、これである。「「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか」という小林秀雄の喝破を想起せざるを得ない。2020/10/06