内容説明
神学と哲学、宗教と心理学のはざまに立ちながら、われわれ現代人を脅かす無意味への深刻な不安を存在論的深みから理解し、苦悩と虚無と絶望からの救済=癒し、生きるための真の「勇気」を示す。
目次
第1章 存在と勇気
第2章 存在と無と不安
第3章 病的不安と生命力と勇気
第4章 勇気と参与―全体の部分として生きる勇気
第5章 勇気と個人化―個人として生きる勇気
第6章 勇気と超越―肯定されている自己を肯定する勇気
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
獺祭魚の食客@鯨鯢
66
「勇気」と「勇敢」は違う、また「不安」と「恐怖」は違う。「生きる勇気」とは「(嫌われても)自己肯定的に生きる勇気」のことであり「嫌われる勇気」という修辞的書名よりわかりやすい。 「勇敢」は命を失う危険にたじろぐことなく行動する姿勢 であり、「勇気」は冷静に思料した上で果断に行動する姿勢。前者には多少野卑なニュアンスがあり、日本で言えば軍人としての武者と、武人としての武士の違いでしょうか。 「不安」は対象がはっきりしていない漠然としたものへの気持ち、一方「恐怖」の方は対象がはっきりしています。→ 2020/04/16
singoito2
12
読友さんきっかけ。生きる勇気=存在への勇気=自己肯定を脅かす不安の正体を古代から中世の哲学を通観して精神分析や実存主義まで追い詰めた上で、信仰義認を踏み台にして存在として神にその勇気の源泉を掘り当てる、という話。神学や教会に対する批判も的確。ひきこもり、不登校の話が度々、耳に入ってくる今日この頃にあって、なお大きな意義を保ち続けている一冊。2022/03/27
roughfractus02
11
哲学は問い、神学は答える。神学者かつ哲学者である著者は両者の繋がりを模索する。「勇気」は、哲学と神学が「老・病・死」の偶然性に対して問い、答える際に用いる共通の言葉である。哲学はソクラテスのように死をもって死を乗り越えることで偶然性から生じる恐怖と不安の超越的の仕方を問う(ストア派からハイデガー、サルトルまで)。一方神学は、他律から自律に転換する哲学的な勇気に潜む集団主義の可能性を読み、個人の限界を画す神律に転換すべき勇気で答えようとする。不安と恐怖を受け入れる勇気は、その状態にある自己の肯定から始まる。2021/09/24
燐寸法師(Twitter @matchmonk)
4
「哲学は問い、神学は答える」…ティリッヒ神学の「相関」の方法、特に後者の「答える神学」の方の試みが本書において総合的にどれだけ成功しているかは判別し難かったですが…罪責の不安の現代的分析と信仰義認を相関させる辺りは胸を打たれました(「生きる勇気とは、われわれが受け入れられ得ないものであるにもかかわらず受け入れられているそのわれわれ自身をわれわれが受け入れると言う勇気である」!)勇気の存立可能性を厳しく問うていく終盤の流れには息が詰まりましたし、→ 2022/03/16
呼戯人
3
神学のレベルでニーチェとスピノザを論じた本。特にスピノザのコナトゥス論と通じ合った勇気論。2015/03/08