内容説明
豊饒なるバフチーン、終末を生きるヘルメース学。『シェイクスピアはわれらの同時代人』のヤン・コットが、〈新しい知〉を自家薬籠中のものとして再びシェイクスピアに挑む。待望の書。
目次
フォースタス博士のふたつの地獄
ボトム変容
『嵐』、あるいは繰り返し
『アイネーイス』と『嵐』
断想(プロスペロー、あるいは舞台監督;『乱』、あるいは世界の終り;残酷なウェブスター)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
傘緑
38
「守護者としてアプレイウス、ルキアノスをいただくこの「面白まじめ」において…笑いの中にまじめさが、まじめさの中に笑いがある…衒学と迷信、顔と仮面、洗練と野卑、教養と無骨などが、ちょうど遊園地のビックリハウスの鏡みたいに互いに映し合い…猿真似し合う」バフチンのポリフォニー(多・声、層、元)論やカーニヴァル論(プラーツ、F・イエイツなども)を軸にシャイクスピアやマーロウを読み解く高山宏(訳者)山口昌男好みの意欲作。「シャイクスピアの世界を不気味に異化されたものとして描いたことではフュスリの右に出る者はいない→2017/02/19
渡邊利道
2
『われらの同時代人』の補遺のような論集。マーロウの「ファウスト博士」をバフチンで読む、『真夏の夜の夢』論、『テンペスト』がいかに『アエイネース』を換骨奪胎してできあがっているかを詳細に論じるとか、イマージュの観念的前景を掘り起こす精神史的エッセイ。黒沢映画のシェイクスピアなどに触れた短いエッセイも収録。2017/03/05
たまかなや
0
《偉大なテクストは、文字通りの形であろうがパロディの形であろうが、それらの読みと一体となって一個の文学的・文化的伝統を形成していく。古典テクストは間断なく書き直され、解釈と釈義がそれらテクストの生命の一部となる。》シェイクスピアの諸作品の中に、ルキアノス、ウェルギリウス、ないし聖書、ネオプラトニズム等の古典的コードを見つけ、そのシェイクスピア的変容を、バフチンのカーニヴァル論、セリオ・ルーデレ(面白真面目)、「相反物の一致」の観点から読み解いていく。2013/08/08