内容説明
本書は、20世紀の重要な思想家ジョルジュ・バタイユが約15年にわたり書き継いだ、書籍『呪われた部分』の草稿原稿、アフォリズム、ノート、構想をまとめたものである。栄誉、笑い、供犠、エロティシズムなどのさまざまな形の浪費についての断章は、バタイユの未完の体系を浮き彫りにしながら、『呪われた部分』『至高性』『エロティシズムの歴史』などのバタイユの思想の根幹をも宿している。バタイユの思想の源流とエッセンスをたどる待望の書、新訳で文庫に登場。
目次
第1部 呪われた部分 有用性の限界(銀河、太陽、人間;非生産的な浪費;私的な浪費の世界;生の贈与;冬と春;戦争;供犠)
第2部 構想と断章(アフォリズムと一般的な断章;一九三九年から一九四一年の構想と断章;一九四一年から一九四三年の構想と断章;一九四四年三月の断章;一九四五年の構想と断章)
著者等紹介
バタイユ,ジョルジュ[バタイユ,ジョルジュ][Bataille,Georges]
1897‐1962年。フランス、ビヨン生まれ。1935年、芸術家や思想家を結集して政治結社「コントル‐アタック」を結成。1936年、カイヨワ、レリスと社会学研究会を創設。1946年、雑誌「クリティク」を創刊
中山元[ナカヤマゲン]
1949年生まれ。東京大学教養学部中退。思想家・翻訳家。インターネットの哲学サイト『ポリロゴス』を主宰
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感想・レビュー
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またの名
15
ただの変態ポルノ作家じゃなかった。太陽はあたかも外から取り入れることがないかのように一方的にエネルギーを放出し、地球上の存在はめいめいエネルギーを受け取ってはそれを他の存在に奪われたりもする。地上のあらゆるエネルギーを独占し頂点に立つ人間はしかし余剰分をどこかで非生産的に浪費しなければならず、かつてその役割を果たしてたのが供儀や祝祭だったと分析。徹底的な浪費をやめて蓄積し次へ回して拡張を目ざす資本主義が提供するあくまで生産的で有用な範囲に収まる浪費を、マルクスとは違う仕方で批判する経済学を企図した草稿群。2017/04/17
ラウリスタ~
10
半分以上はメモに過ぎない。文章として成立する以前の設計図のようなもの。資本主義社会のバタイユ的視点からの分析。プロテスタンティズムは浪費をさらなる生産の拡大へと方向付けた。現代社会は浪費が存在し得ない社会。祝祭は消え、映画、芸術なども浪費としてではなく、適度な浪費、つまり次なる生産の効率を上げるために必要な余暇として有効活用されるようになる。この有用性の輪に閉じ込められた現代人。バタイユと彼を含めた我々少数の人間は、自分の人生をいわば蕩尽することで、大多数の人類に代わり、栄誉示すわけか。2014/03/08
ToshihiroMM
4
銀河や太陽の話があったかと思えば、アステカの生贄を伴う凄まじい儀礼や文化が熱っぽく語られ、過剰な贈与を伴うネイティブアメリカンのポトラッチを経て、戦争の恍惚、資本主義批判へと移る。理解がまったく追いつかないながらも、恐ろしく壮大でラジカルな独自の経済思想(的なもの)を構想していたことはうかがえる。草稿やメモを集めたこともあるのだろうが、テクニカルでない手掴みな文章がかえって刺激的だった。
アブーカマル
4
本書と「呪われた部分ー普遍経済学の試み」とは別物なので注意を。モースの贈与経済やウェーバーのプロ倫も媒介としたバタイユの思想が読める。戦争と燔祭は、習俗、真なる自己の贈与、儀礼パロディと厳密な関係で結ばれている(p.63)人間は、過剰な情熱に耳を傾けるとかではなくさもしい必要性に動かされる時にこそ、劣った存在に、しかも残酷な存在になるのである。(p.70)この労働者の素朴な考えでは、消費は生産のための基本的な条件だったのである(p.84)現在でも理想とされるのは、相手が応じることのできないポトラッチを行う2017/02/04
せ
3
個人的に、浪費した時にある種の快感のようなものを感じる。バタイユの言っている、浪費が人間の生の値打を決める、というのはそういうことだろうか。2015/08/06