内容説明
「文学的形式(フォルム)を“アンガジェさせる”こと」と「サルトル的アンガージュマンをマルクス主義化すること」という二重の企図のもとに書かれた『エクリチュールの零(ゼロ)度』は、サルトルの『文学とは何か』によるブルジョワ的“文学”神話の“脱神話化”の試みを引き継ぐとともに、その人間主義的限界の乗り超えを目指した。言語体(ラング)とも文体(ステイル)とも異なる文学の第三の形式的現実としての『エクリチュール』は、はたして“文学”を解明したのか。つねに現代思想の先頭を走り続けつつ、変貌を重ねたバルトのエクリチュールの冒険のすべては、ここから始まった。
目次
エクリチュールとは何か
政治的なエクリチュール
小説のエクリチュール
詩的なエクリチュールは存在するか
ブルジョワ的エクリチュールの勝利と分裂
文体の職人
エクリチュールと革命
エクリチュールと沈黙
エクリチュールと語り(パロール)
言語のユートピア
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
またの名
15
「学-logieの人じゃないのにバルトも無理した」とブルデューが言うように論理を求めてはいけない、文芸的感性の人。そのため読み辛くはあるけど、ざっくり言えば、時代精神や流派や個人の文体などに還元しきれないがそれらと時に重なりもする、抽象的なラングでも個々のパロールでもないいずれかのエクリチュールを常に既に書き手が選択していると説く。自然主義のエクリチュールほど人為的な捏造はないとか、ブルジョアが拒んだブルジョアのエクリチュールを支持したのは共産主義の書き手だけとか逆説を弄しまくるので、読者の混乱が増大。2017/04/07
まふ
14
零度とは両極の間の「中間項」のようなものと思えば良いらしい。エクリチュールはパロールに対置される「書かれた」言語(ランガージュ)という認識を持っていたが、それは「文学」そのものと置き換えてもよいようである。だが、零度とは一体何か、については説明がなく読んでいるうちに何となく分かったような気持になる。この分野のフランス人たちは独特の「宙づり」「標示」「標章」「文体」等の「過激な」言葉を共通語として使用する。これらの理解、納得が読む前に要求される。2021/10/16
塩崎ツトム
11
ロラン・バルトってこんなに難しかったのか(笑)。まあ自分にフランス文学の基礎知識がほとんどないということが難しくさせているのかもしれない。しかし次は何を読んで勉強すればいいんだ。バルトの解説本か?フランス文学史か?フランス文学の代表的作品か?2021/10/14
ラウリスタ~
11
以前読んだ時は流し読みだった。ちょっと腰を据えて読むと、あまりの難しさに辟易した。単純化して、流布されやすそうなキーワードがちらほらあるが、とはいえ全体をきっちりと理解することは容易ではない。過剰にも思える注も、実際そのぐらいないと一般の読者には読めないってことなんだと思う。結局、エクリチュールって言葉が一人歩きしていきそうだな、と思ったら案の定、作者自身によってエクリチュールって概念は放棄されたみたいだ。かといってこの本の価値はそれによって低下するわけでもなさそう。2014/04/19
くらひで
10
<文学>とは何かを、エクリチュールという概念語を持ち出して、書かれたものと著作者との分裂、限界を、《言語体》 《文体》などという差異化を図りながら分析。分かったような分からないような内容。 魅力的に感じられる「エクリチュールの零度」というタイトルも、著作家から書くこと自体が白色の中性化したエクリチュールに束縛されたり拒絶したりすることの最終局面に直面している現実の危機感を表しているという。2017/04/07