内容説明
1889年のパリ万博のために建造されて百年余り―パリのどこからでも見られ、世界一有名な塔であるエッフェル塔。この既知の塔から「記号」と「表徴」をつむぎだし、あらゆる時代と空間から、そしてあらゆる存在から、この鉄の塔を読み解き、変貌させ、創造力のなかを滑空させる。バルト独自の構造主義的思考の原点と軌跡を明晰に示すエクリチュールの美しく豊潤なモニュメント。エッフェル塔の図版資料とバルト論「ロラン・バルト―意味の解体と創造」「ロラン・バルトの彼方」を併録。
目次
エッフェル塔
ロラン・バルト―意味の解体と創造(諸田和治)
ロラン・バルトの彼方へ(宗左近)
著者等紹介
バルト,ロラン[バルト,ロラン][Barthes,Roland]
1915‐80年。フランスの思想家、記号学者。シェルブールの軍人の長男として生まれる。カミュの『異邦人』に触発され“エクリチュールの零度”という観念を抱く
宗左近[ソウサコン]
1919年生まれ。東京大学哲学科卒業。詩人、仏文学者
諸田和治[モロタカズハル]
1931年生まれ。東京都立大学仏文科卒業。法政大学教授
伊藤俊治[イトウトシハル]
1953年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。多摩美術大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
328
バルトによるエッフェル塔表象論。パリの絵葉書なり、写真なりを見て、誰にもそこがパリだとわかるものは…エトワール凱旋門とシャンゼリゼ?オペラ座?ノートルダム寺院?ルーブルの透明ピラミッド?ほとんど誰もが正解するのが、セーヌ河畔のエッフェル塔ではないだろうか。建設に際しては多くの文化人や芸術家の反対にあいながら、エッフェル塔はいまや、まぎれもなくパリの象徴だ。風景の対象としての、またその塔の上からはパリを俯瞰する視点をあたえる存在としてのエッフェル塔。その構造を語るバルトの切り口と分析の冴えを楽しみたい。 2013/08/26
ケイ
102
「モーパッサンは好きで ないエッフェル塔のレストランでしばしば食事をした、私がパリを見ないですむ唯一の場所だからと言いながら…」モーパッサンは見ていたのか、という感覚にまずとらわれた。エッフェル塔建設は1900年万国博覧会―仏革命から111年、その時から今は122年。パリを見下ろすノートルダム大聖堂との対比…ノートルダムは焼けてしまった。対比して思う文章は、フィッツジェラルドがエンパイア・ステートビルから見たNY。根底にあるノスタルジーは近いのかもしれないが、私は 文学しか読めないのだと悔しさを感じる。2022/09/30
新地学@児童書病発動中
80
エッフェル塔をめぐるバルトの評論。華麗なレトリックによって空虚な存在であるエッフェル塔の豊かさをくっきりと浮かびあがさせるところが心憎い。「空虚」という日本語は否定的な意味を含んでいるけど、バルトの言う空虚は何事にも束縛されない自由を持ったもの。最後まで読むと少しはぐらかされた気持ちになるが、大切なことはバルトの軽やかなエクリチュールを楽しむことなのかもしれない。2013/08/01
ころこ
44
エッフェル塔の内部、物理的なエッフェル塔のそれ自身を論じているのではなく、エッフェル塔と一体化することによってエッフェル塔がみえなくなるという様に、エクリチュールの身体性に迫っています。「教会であれ、宮殿であれ、エッフェル塔以外のすべての記念碑が、なんらかの使用目的を持っていたのに対して、エッフェル塔だけは観光の対象以外のなにものでもなかった。」単にパリにおける象徴性を論じているのではないところに一癖あります。物理的に存在するが、そのイメージは鉄という近代性に根差し、ハンカチ、スカーフ、カマンベールチーズ2021/07/07
nobi
42
1889年パリ万博。その記念建造物コンペで満場一致で採択されたのがエッフェル塔だった。一方抗議したのはデュマ・フィス、モーパッサンら。それから75年(原書発行年)パリの象徴となってもはや加えるべき注釈の無さそうな対象に敢えて「意味の解体」を挑む?にしては(だからこそ?)口述筆記の趣き。その文体でこの塔を見るものと見られるもの、内と外等の二分論を解体する表徴とする論提示は刺激的。ただその意匠に関して非審美性、機能美と捉えるのはどうか。他の鉄塔にはない大胆かつ繊細で歴史ある街と調和する姿に言及してほしかった。2016/12/25