出版社内容情報
フッサールの超越論的現象学の企てを、彼自身の構想に従い、厳密に展開することによって問題性を浮き彫りにする。現象学的還元によって開かれる世界を超越論的領野と呼ぶ。分析を進めるとこの領野の底では、さまざまな事象が現れては消える時間的なあり方をしているのが分かる。そこで著者は、フッサールの初期と晩年の時間論を再検討し、現象学的反省に先立つ地平(原受動性、先反省性、先時間性)という分析にとってのアポリアにフッサールが直面していた様子を見る。ここが思考の臨界である。同様にハイデガーの存在、レヴィナスの他なるものにも
内容説明
フッサールの企てを徹底的かつ厳密に展開、新たな問題領域を開拓する強靱な思索。
目次
超越論的現象学の構想
1 時間(フッサール時間論の展開;時間・差異・領野―フッサールとデリダ;時間と存在―メルロ=ポンティと「内‐存在論」の試み)
2 存在(現存在と超越論的主観性;存在と無、あるいは形而上学;真理の/という場所;言葉と人間)
3 他者(存在と他者;相互主観性の現象学;時間と他者;倫理・政治・哲学;動き・場所・他なるもの―ふたたび「時間」によせて)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Seita
1
Ⅱ、第二章のみ。「なぜ」の問いの成立とともに「根拠」が獲得されている。先行理解。それを概念把握までもっていくのが形而上学である。この文脈で「自由」が登場する。この自由は「根拠を与えるとともに、根拠を受け取る」。能動性と受動性。ここに「還元」解釈で別れたフッサールとハイデガーの再会を読めうる。ハイデガーの、「不安」の内で「全体としての存在者が滑り落ちる」という表現は受動的な響きをもつ。だが、同じ時期の彼がなおフッサールと同じ側に、すなわち何らかの能動性の側に身を置いていたと読めうるからである(p.151)。2017/06/03