出版社内容情報
生物界を操る利己的遺伝子の真相に迫る天才的生物学者の洞察が,世界の思想界を震憾させる――世界13カ国語に翻訳された大ベストセラーで,生物・人間観を根底から揺るがす。動物や人間社会でみられる親子の対立と保護,兄弟の争い,雄と雌の闘い,攻撃やなわばり行動などの社会行動の進化を,遺伝子の利己性から説明した衝撃の話題作!
★日高敏隆さん(訳者)「『利己的な遺伝子』のインパクト」(「i feel」出版部50周年記念号より)★
「 リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の原著が刊行されてから、はや三十年になる。世界にとって、日本にとって、この三十年とは何であったのだろうか?
一九七六年『The selfish gene』と題されたこの本が出版されると、イギリスの「Nature」やアメリカの「Science」といった著名な科学雑誌をはじめとして、さまざまな書評が次々と出た。「われわれは遺伝子の乗りものである」というこの本の出現は、それほどショッキングなできごとであったのである。
かつてナチス・ドイツが誇らしげに唱えていた「Deutschland über alles」(すべてに冠たるドイツ国)ということばをもじって、「Genes über alles」(すべてに冠たる遺伝子)と題した書評もあった。
「連綿と生きつづけていくのは遺伝子であって、個人や個体はその遺伝子の乗りもの(vehicle)であり、遺伝子に操られたロボットにすぎない」というドーキンスの主張は、到底すなおに受け入れられるものではあり得なかったのだ。
ドーキンス自身が述べているとおり、この考えはドーキンスのオリジナルではない。古くからあるヴァイスマンの「生殖質連続説」の流れに乗ったものであり、集団遺伝学や現代動物行動学の成果の当然の帰結であった。ドーキンスはそれを象徴するキャッチフレーズとして、The selfish geneということばを創造したのである。
しかしこのキャッチフレーズのインパクトは絶大なものであった。The selfish geneつまり利己的な遺伝子ということばはたちまちにして世界じゅうに広まり、人々の日常会話の中に浸透していった。「利己的遺伝子」という遺伝子が存在すると思いこんでしまった人々も少なくない。
そのような状況の中でちゃんと理解されていたのかどうかわからないのは、「遺伝子の利己性」というものを強調しようとしたこの「利己的遺伝子」観が、ダーウィンの進化論を本来の姿で捉え直すものであったということである。
このThe selfish geneというキャッチフレーズのもとにドーキンスが述べた「正しい」ダーウィン主義の視点は、当然ながら「種族維持」という従来の概念とは完全に対立することになる。
「私はダーウィン以上にダーウィン主義者なのです」と言っていたコンラート・ローレンツは、一九七三年にノーベル生理・医学賞を受賞している。動物行動学の開拓者としての彼の業績とその影響は評価しきれないくらい大きいものであるが、「行動は種族維持のために進化した」とするローレンツの考え方は、この本で根本的に批判されている。動物の行動は種族維持のためにではなく、利己的な遺伝子の存続のために進化したのであって、種族維持はその結果にすぎないのだ。
かつてわれわれは、生物には個体維持と種族維持という二つの働きがあると教えられた。今でもそう思っている人がいる。しかしこの二つは遺伝子の存続という点では一つの現象なのである。
「種族維持」という進化の根幹に関わる発想が否定されたこのことは、『利己的な遺伝子』刊行後の三十年間におけるもっとも大きな転換であったといってよいであろう。
「個体発生は系統発生をくりかえす」という古くヘッケル以来の伝説のようなものがある。これも進化の根幹にふれる問題として人々の心を長い間とらえてきたが、ごく最近出た『個体発生は進化をくりかえすのか』(倉谷滋著、岩波科学ライブラリー)に明快に述べられているとおり、要するに生物の発育のプログラムの問題ではないだろうか。そしてこの発育のプログラムも、利己的な遺伝子によって組み立てられたものなのである。
ただし、プログラムを作りあげているのは遺伝子の集団であって、どれか特定の遺伝子ではない。そしてプログラムがどのようにしてできるのかは、「ヒト・ゲノム」がわかったからといってすぐにわかるようなものではない。
けれどこのプログラムは人をロボットのように操っているのではない。遺伝的プログラムは厳然として存在しているが、それを具体化していくのは、個体であり個人なのである。
ドーキンスの『利己的な遺伝子』の邦訳が出版されたとき、それを手にした多くの人々は何か癪にさわるものを感じたらしい。しかし癪にさわると思いつつもついつい読んでしまったと言っていた。このあたりにこの本のもつ興味ぶかい意味があるような気がする。ドーキンスがこの本で提示した「ミーム」について論じたスーザン・ブラックモアの本(『ミーム・マシーンとしての私』草思社)も読み、彼女の話も聞いたが、「ミーム」(模倣子)なるものと利己的な遺伝子との関係は、やはり謎に包まれたままである。」
内容説明
本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、兄弟の闘い、雄と雌の闘い、攻撃やなわばり行動などの社会行動がなぜ進化したかを説き明かしたものである。著者は、この謎解きに当り、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から、説明を試みる。大胆かつ繊細な筆運びで、ここに利己的遺伝子の理論は完成した。
目次
1 人はなぜいるのか
2 自己複製子
3 不滅のコイル
4 遺伝子機械
5 攻撃―安定性と利己的機械
6 遺伝子道
7 家族計画
8 世代間の争い
9 雄と雌の争い
10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう
11 ミーム―新登場の自己複製子
12 気のいい奴が一番になる
13 遺伝子の長い腕
感想・レビュー
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佐島楓
absinthe
たばかる
Lee Dragon
手押し戦車