内容説明
現代イタリア文学を代表し、今も世界的に注目され続けるカルヴィーノの名作。ヴェネツィア生まれの商人の子マルコ・ポーロがフビライ汗の寵臣となって、さまざまな空想都市の奇妙で不思議な報告を行なう。七十の丸屋根が輝くおとぎ話の世界そのままの都や、オアシスの都市、現代の巨大都市を思わせる連続都市、無形都市など、どこにもない国を描く幻想小説。
著者等紹介
カルヴィーノ,イタロ[カルヴィーノ,イタロ][Calvino,Italo]
1923‐85年。イタリアの作家。第二次世界大戦末期のレジスタンス体験を経て、『くもの巣の小道』でパヴェーゼに認められる。『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』で寓話的・ピカレスク世界を描き、SF風の『レ・コスミコミケ』『柔かい月』など、世界の現代文学の最前線に立つ作品を残す
米川良夫[ヨネカワリョウフ]
1931年生まれ。早大文学部卒。『木のぼり男爵』をはじめとするカルヴィーノ作品や、パゾリーニ、パヴェーゼ、モラヴィアなど、現代イタリア文学を多数翻訳
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
363
マルコ・ポーロが語る中世の都市が次から次へと立ち現れては消えてゆく。時にはそこに人が配されることが皆無ではないが、ほとんどの場合は都市だけがそこに忽然と出現する。それはあたかも幻燈のあえかな光に映し出された朧げな幻影であるかのようだ。あるいは、それはまたエッシャーの騙し絵であるかのような。彼は言葉で次々と幻の都市を描き出してゆくが、それを聞く私たちは(おそらくはフビライもまた)いつしか果てしもない酩酊の中に溺れてゆく。物語の最後はまるで禅の公案のようだが、すべては「空」に収斂してゆくのだろう。2017/09/26
ケイ
119
マルコ・ポーロがフビライ・ハンに語る沢山の都市の話。シェヘラザードに耳を傾ける王様のように、マルコ・ポーロに次々と架空の都市の話をさせていく。幻想的なのだが、訳のせいだろうか、その語りがふわふわしていて目を閉じても街の風景が浮かんでこなかった。短い本だが、読み通すのに少々苦労した。2015/10/28
扉のこちら側
84
2017年135冊め。【279/G1000】マルコ・ポーロがフビライ汗に見聞した都市を語って聞かせるという話。読み始めて少しして、気になって目次を見直す。これは地図のようなもの。話が進むにつれ、いや、進んでいるのか行きつ戻りつしているのか、ページをめくりながら架空の都市なのか時間軸も地平線も見失っていく。作中の二人も、自分たちが実在しているかどうか怪しいと語っている。惜しいのはこの話、解説まで読んでから読み返さないと、よく味わえないのかもしれない。 2017/02/11
藤月はな(灯れ松明の火)
80
古書店フリマで購入した本。フビライ汗に尋ねられ、今まで見聞してきた都市について語るマルコ・ポーロ。だがその都市が本当に実在していたのかは分からないのだ。だが、もしかしたら虚構かもしれない都市の要素(空中に浮かぶ天蓋など)のイメージはとても鮮烈。そして読み進めていく内に二人の会話はト書上に書かれる。まるで二人の対談は舞台上のフィクションであるかのように。虚構である可能性のある都市のリアリティが浮かび上がりながら、現実である二人がフィクション化する構図に心地よい酔いに襲われます。なぜか宇月原晴明作品を思い出す2014/07/19
NAO
65
再読。マルコ・ポーロが、フビライ汗のために語って聞かせる様々な都市。幻想的でありながらどこかにありそうな都市から、彼の語る都市は、徐々にどこにもなさそうな奇想天外な都市へと変わっていく。だが、そうした都市の盛衰や都市に住む人々の移ろいゆく姿は、現代都市に対する警告とも思えてくる。幻想的で哲学的ともいえるマルコの言葉だが、マルコとフビライ汗の対話は禅問答のようで、読むたびに受ける印象が違うのがおもしろい。2015/12/12